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この目録について | 目録1 単行本 | 目録2 翻訳 | 目録3 研究論文 | 目録4 書評 |
この目録について
このページの目録は1987年4月より1990年3月までのものですが,一部例外があります。また目録の内容は『中世思想研究』の32号(1990年)に掲載されたものを基に作成されています。
ギリシア語はすべてローマ字に変換してあります。また,Web上に掲載するために一部表記が『中世思想研究』に掲載されているものと異なる場合があります。
目録
1 単行本
中世関係文献目録:単行本
著書名 | 書名 | 出版社 | 発行年 |
---|---|---|---|
荒井献・石田友雄・柴田有・池田裕 他編 | 新約旧約聖書大辞典 | 教文館 | 89.6 |
稲垣 良典 | 抽象と直観ー中世後期認識理論の研究 | 創文社 | 90.2 |
松本 正夫 | 西洋哲学史ー古代・中世 | 慶応通信 | 90. |
宮本 久雄 | 教父と愛智ーロゴスをめぐって | 新世社 | 89. |
長倉久子・蒔苗賜夫・大森正樹 | トマス・アクイナス『神学大全』語彙集(羅和)ー創文社版,中央公論社による | 新世社 | 88.11 |
K.リーゼンフーバー | 中世における自由と超越ー人間論と形而上学の接点を求めて | 創文社 | 88.2 |
K.リーゼンフーバー(監修)上智大学中世思想研究所編 | 中世の人間像 | 創文社 | 87.8 |
K.リーゼンフーバー(監修)上智大学中世思想研究所編 | 古代の自然観 | 創文社 | 89.12 |
薗田 担 | <無限>の思想ーニコラウス・クザーヌス研究 | 創文社 | 87.5 |
山田晶・倉松功編著 | キリスト者の敬虔ー印具徹先生喜寿記念献呈論文集 | ヨルダン社 | 89.3 |
2 翻訳
中世関係文献目録:翻訳
著者名 | 書名 | 訳者 | 出版社 | 発行年 |
---|---|---|---|---|
アベラール | 普遍についてー『ロジカ・イングレディエンブス』より | 清水哲郎訳 | 季刊哲学2・哲学書房 | 88.4 |
トマス・アクィナス | 『神学大全』第十六分冊 | 稲垣良典訳 | 創文社 | 87.7 |
トマス・アクィナス | 『神学大全』第十四分冊 | 稲垣良典訳 | 創文社 | 89.2 |
トマス・アクィナス | 真理の概念ー『ペトルス・ロンバルドゥス命題集註解』第一巻第十九篇第一項 | 花井一典訳 | 季刊哲学7・哲学書房 | 89.7 |
トマス・アクィナス | 真理論ー『真理論』第一問,『ぺトルス・ロンバルドゥス命題集註解』第一巻第十九篇第五問 | 花井一典訳 | 季刊哲学7・哲学書房 | 88.2 |
トマス・アクィナス | トマス・アクィナス『神学大全』第二の二部第百五十二問題の訳および註(その二) | 渋谷克美訳 | 愛知教育大学研究報告38・愛知教育大学 | 88.2 |
A. H. アームストロング | プラトン主義の多面体 ヒストリー・オブ・アイディアズ11 | 熊田陽一郎訳 | 平凡社 | 87. |
アウグスティヌス | キリスト教の教え アウグスティヌス著作集6 | 加藤武訳 | 教文館 | 88.7 |
アウグスティヌス | 自由意志 アウグスティヌス著作集3 | 泉治典訳 | 教文館 | 89.8 |
ボナヴェントゥ—ラ | 魂の歴程(5)ーBonaventura, Itinerarium mentis in Deum 第5章 翻訳と注解 | 長倉久子訳 | 南山神学10・南山大学 | 88.2 |
ボナヴェントゥ—ラ | 魂の歴程(6)ーBonaventura, Itinerarium mentis in Deum 第6章 翻訳と注解 | 長倉久子訳 | 南山神学10・南山大学 | 89.2 |
ニコラウス・クザーヌス | 可能現実存在 | 大出哲・八巻和彦訳 | 国文社 | 87.6 |
偽ディオニシウス | 神名論第一章 | 熊田陽一郎訳 | 季刊哲学9・哲学書房 | 89.12 |
ドゥンス・スコトゥス | 神の自然的認識と存在の一義性ー『オックスフォード講義録』第一巻第八部第三問より | 花井一典訳 | 季刊哲学2・哲学書房 | 88. |
ドゥンス・スコトゥス | 存在の一義性ー『定本』第一巻第三篇第一−第三問 | 花井一典・山内志朗訳 | 哲学書房 | 89.3 |
J. ヘッセン | アウグスティヌスの哲学 | 松田貞二訳 | 行路社 | 88.4 |
ホノーリウス・アウグスティヌスストドゥネーソシス | 自由選択論 | 山崎裕子訳 | 紀要5・日本キリスト教短期大学 | |
J. ジョリヴェ | アベラールと十四世紀唯名論 | 富松保文訳 | 季刊哲学2・哲学書房 | 88.4 |
H−J. カイザー | アウグスティヌス—時間と記憶 | 小阪康治訳 | 新地書房 | 90.3 |
A. ラウス | キリスト教神秘思想の源流—プラトンからディオニュシウスまで | 水落健治訳 | 教文館 | 88.1 |
G. レフ | 中世における預言 ヒストリー・オブ・アイディアズ18 | 泉治典訳 | 平凡社 | |
ライムンドゥス・ルルス | アルス ブレヴィス | 山内志朗訳 | 季刊哲学4・哲学書房 | 88. |
G. マローニー | 東方キリスト教神学入門—つくられざるエネルゲイア | 大森正樹訳 | 新世社 | 88.2 |
オッカム | 概念と音声と表示—ものが除去されれば, 音声もその表示対象から除去されるか | 清水哲郎訳 | 季刊哲学2・哲学書房 | 88.4 |
オッカム | 未来偶然命題—『論理学大全』より | 清水哲郎訳 | 季刊哲学8・哲学書房 | 89.9 |
グレゴリオス・パラマス | 説教第34 | 大森正樹訳 | エイコーン3 新世社 | 89.11 |
上田 閑照 | キリスト教神秘主義における自証 | 吉田喜久子訳 | 季刊哲学9・哲学書房 | 89.12 |
3 研究論文
中世関係文献目録:研究論文
著書名 | 題目 | 雑誌名 | 出版社・大学等 | 発行年 |
---|---|---|---|---|
出村 和彦 | Pervenire ad Verbum—アウグスティヌス『三位一体論』第一五巻における言葉への到達 | ボナヴェントゥラ紀要6 | 東京ボナヴェントゥラ研究所 | 89.10 |
出村 みや子 | オリゲネス『ケルソス駁論』における真理探究の構造—エンキュクリオス・パイデイアの検討を中心として | 中世思想研究30 | 中世哲学会 | 88.9 |
道鉢 滋穂子 | アウグスチヌスの「恩寵」と「自由」に関する一考察—意欲と能力の観点から | ボナヴェントゥラ紀要4 | 東京ボナヴェントゥラ研究所 | 87.10 |
江口 克彦 | トマス・アクィナスにおける〈存在因〉としての〈最高有〉 maxime ens | 同志社哲学年報11 | Societas Phiosophiae Doshisha | 88.9 |
古田 暁 | 研究報告 アンセルムスの「人間の救済に関する瞑想」の贖罪論 | 宗教研究62巻279 | 日本宗教学会 | 89. |
古田 暁 | 研究報告 アンセルムスの言語論 | 宗教研究63巻283 | 日本宗教学会 | 90. |
花井 一典 | エッセと判断—トマス・アクィナスの判断論への一考察 | 中世思想研究29 | 中世哲学会 | 87.9 |
花井 一典 | トマス・アクィナスのエッセ把握と存在述語 | 哲学38 | 日本哲学会 | 88. |
花井 一典 | 事実・真理・神—トマスとフレーゲ | 季刊哲学5 | 哲学書房 | 88. |
花井 一典 | 「存在」「神」「超越概念」「トマス・アクィナス」 | 季刊哲学6 | 哲学書房 | 89.3 |
花井 一典 | 文の一般構造から神へ—トマスの言語思想 | 季刊哲学7 | 哲学書房 | 89.7 |
長谷川星舟 | アダムが罪を犯さなかったとしても,イエズス・キリストは来臨したもうか? | ボナヴェントゥラ紀要4 | 東京ボナヴェントゥラ研究所 | 87.10 |
長谷川星舟 | 人の復活について—ドゥンス・スコトゥスのOx.lib.4, dist.43, q.2の抜粋訳と若干の考察 | ボナヴェントゥラ紀要6 | 東京ボナヴェントゥラ研究所 | 89.10 |
林 明弘 | 『教師論』における「異なる意味表示作用」について | 中世哲学研究7 | 京大哲学研究会 | 88.10 |
林 明弘 | 「それ自体で存在する」ことと「それ自体で理解される」こと | 中世哲学研究8 | 京大哲学研究会 | 89.10 |
樋笠 勝志 | アウグスティヌスにおける言葉の効用(utilitas verborum)の問題—De Magistro, XI, 36-XIV,46 | 紀要「研究」6 | 東京大学文学部美学芸術学研究室 | 87.3 |
藤本 温 | トマス倫理学における「目的」概念について | 中世哲学研究8 | 京大中世哲学研究会 | 89.10 |
古牧 徳生 | 命題集講師時代のエックハルト—『コラチオ』の構成と方法 | 中世哲学研究7 | 京大中世哲学研究会 | 88.10 |
古牧 徳生 | 『パリ命題集』における「存在」の位置—Quaestiones Parisienses Q.1 et 2 | 中世哲学研究8 | 京大中世哲学研究会 | 89.10 |
古牧 徳生 | エックハルトにおける神認識の問題—『ヨハネ福音書注解』における | 中世思想研究31 | 中世哲学会 | 89.9 |
飯塚 知敬 | トマスのコンセルバチオ論—神の意志と自然本性 | 中世哲学研究7 | 京大中世哲学研究会 | 88.10 |
飯塚 知敬 | 霊的実体と自然本性—トマスの〈奇跡論〉 | 中世哲学研究8 | 京大中世哲学研究会 | 89.10 |
飯塚 知敬 | 『創世記』冒頭の解釈について—霊的解釈と自然学的解釈 | 中世哲学研究6 | 京大中世哲学研究会 | 87.10 |
飯塚 知敬 | 神の存在証明は可能か—トマスの〈結果による〉証明 | 季刊哲学7 | 哲学書房 | 89.7 |
今道 友信 | 現実と傾斜 | 中世思想研究29 | 中世哲学会 | 87.9 |
稲垣 良典 | Habitus and Natura in Aquinas | Studies in Medieval Philosophy, ed. John. F. Wippel | The Catholic University of America Press | 87.9 |
稲垣 良典 | Res and Signum—On the Fundamental Ontological Presupposition of the Philosophy of William Ockham Philosophie im Mittelalter. | Entwicklungslinien und Paradigmen | Felix Meiner Verlag | 87.10 |
稲垣 良典 | 抽象と直観—オッカムにおける知的認識の問題 | 中世思想研究30 | 中世哲学会 | 88.9 |
稲垣 良典 | 中世思想における愛 | 「人間の探求」 | 名古屋大学出版会 | 88.10 |
稲垣 良典 | 目的論・対・義務論—トマス自然法概念の再検討 | 「法と国家の基礎にあるもの」 | 創文社 | 89. |
稲垣 良典 | 道徳的責務と神 | 「倫理学の基本問題」 | 九州大学哲学会 | 89. |
稲垣 良典 | トマス倫理学におけるペルソナと自然本性—voluntarium 概念の一考察 | 哲学年報48 | 九州大学文学部 | 89.2 |
稲垣 良典 | 「オッカムの剃刀」再考 | 思想775 | 岩波書店 | 89. |
稲垣 良典 | トマス・アクィナスにおける個体化の原理と個体認識について | 大神学院紀要3 | サン・スルピス大神学院 | 89. |
稲垣 良典 | 中世後期における霊魂論の崩壊と認識理論の変容 | 哲学年報49 | 九州大学文学部 | 90.3 |
石井 雅之 | ボエティウス『イサゴーゲー注解』における普遍の問題—伝統的認識論との関わりについての予備的考察 | 中世思想研究31 | 中世哲学会 | 89.9 |
一色 裕 | アウグスティーヌスのおける時間と讃美—『告白録』第11巻27章35節をめぐって | 中世思想研究31 | 中世哲学会 | 89.9 |
伊藤 博明 | 「神的な闇」と人間—偽ディオニシウス・アレオパギタ『神秘神学』のピコ・デッラ・ミランドラにおける受容について | 中世思想研究30 | 中世哲学会 | 88.9 |
伊藤 哲大 | パドヴァの聖アントニオの「王たるキリスト」について | ボナヴェントゥラ紀要4 | 東京ボナヴェントゥラ研究所 | 87.10 |
伊藤 哲大 | パドヴァの聖アントニオとその教養—特にアリストテレス著作引用をめぐって | ボナヴェントゥラ紀要6 | 東京ボナヴェントゥラ研究所 | 89.10 |
井沢 清 | トマス・アクィナスにおける自己認識論—その方法と順序 | 中世思想研究30 | 中世哲学会 | 87.9 |
泉 治典 | サン・ヴィクトールのフーゴーにおける救済史の概念 | 中世思想研究30 | 中世哲学会 | 88.9 |
泉 治典 | アウグスティヌス | 世界の歴史3 | 朝日新聞社 | 89.6 |
掛川 富康 | キリスト教神論におけるヘブライズムとヘレニズム—K. バルトの神理解とイデアリスムスの問題 | 人文科学研究 キリスト教と文化 21 | I.C.U. キリスト教と文化研究所 | 87.12 |
金子 隆徳 | Ultimus Finis についての基礎づけ—『神学大全』第2-1部の基本的な問題 | 中世思想研究31 | 中世哲学会 | 89.9 |
片山 寛 | トマス・アクィナスのキリスト論における心身論 | 中世思想研究30 | 中世哲学会 | 88.9 |
片山 寛 | トマス心身論の射程—キリスト論における | 哲学年報47 | 九州大学文学部 | 88.2 |
加藤 武 | 讃美と嘆き—audio quodam interiore sono: Augustinus, Enarratione in Ps. XLI, 9-13 | ボナヴェントゥラ紀要4 | 東京ボナヴェントゥラ研究所 | 87.10 |
加藤 武 | ORATIOとIUBILATIO—アウグスティーヌスにおける沈黙と発語 | 立教大学研究報告〈人文科学〉47 | 立教大学一般教育部 | 88.2 |
加藤 武 | アウグスチヌスにおける声とことば | ボナヴェントゥラ紀要5 | 東京ボナヴェントゥラ研究所 | 88.10 |
加藤 武 | 光あることば,あるいは見ることば—Augustinus, de Trinitate, XV, x, 19-xi 20 | 立教大学研究報告〈人文科学〉48 | 立教大学一般教育部 | 89.2 |
加藤 武 | 呼びかけ(invocare)の構造—『告白』第1巻第1章第1節における | ボナヴェントゥラ紀要6 | 東京ボナヴェントゥラ研究所 | 89.10 |
加藤 武 | 呼びかけの場所—『告白』第1巻第2章第2節より5章6節まで | 立教大学研究報告〈人文科学〉49 | 立教大学一般教育部 | 90.2 |
加藤 武 | La Voix chez Origène et saint Augustin | Collectanea Augustiniana, Mélanges T.J. van Bavel | INSTITUTUM HISTORICUM AUGUSTIANUM LOVANI | 90.6 |
川添 信介 | トマス・アクィナスの《聖なる教え》と哲学 | 人文研究40-4 | 大阪市立大学文学部 | 88.12 |
川添 信介 | ボナヴェントゥラの種子的原理 | 「自然観の展開と形而上学」 | 紀伊国屋書店 | 88. |
菊地 伸二 | アウグスティヌスにおけつ被造的善の理解について | 中世思想研究31 | 中世哲学会 | 89.9 |
岸 英司 | 諸宗教との出合いにおける理性の意義—S.C.G.L. I, C.1-C.8を中心として | サピエンチア英知大学論叢24 | 英知大学 | 90.2 |
木谷 文計 | 「神の像」と内なる超越 | シンポジオン34 | 広島大学文学部哲学研究室 | 89.3 |
小林 春夫 | イブン・スィーナーにおける「自覚」論 | オリエント 32-1 | 日本オリエント学会 | 89.9 |
久山 宗彦 | アレクサンドリアのクレメンスの天使論 | 星美短大研究論叢19 | 星美短大 | 87.3 |
久山 宗彦 | イスカンドレイナと聖マール・ミーナ修道院 | 月間アフリカ 29-11 | アフリカ協会 | 89.11 |
久山 宗彦 | 聖サムエル修道院を訪ねて | 月間アフリカ 29-12 | アフリカ協会 | 89.12 |
久山 宗彦 | 正義と慈悲—キリスト教とイスラムのかかわりから | 人間学紀要19 | 上智大学人間学会 | 89.12 |
河野 一典 | 『創世記』冒頭をめぐるマニ教徒の間の意味について—Augustinus, Confessiones XI,10,12 | 中世哲学研究7 | 京大中世哲学研究会 | 88.10 |
今 義博 | エリウゲナにおける無と死について—神への還帰の一面 | 中世哲学研究6 | 京大中世哲学研究会 | 87.10 |
今 義博 | エリウゲナにおける「超神学」(theologia supera, supertheologia)と名づけられうるもの | 文化と哲学7 | 静岡大学哲学会 | 88.10 |
今 義博 | エリウゲナにおける創造論の構造 | 中世思想研究31 | 中世哲学会 | 89.9 |
小山 宙丸 | Zur mittelalterlichen Geistesgeschichte.—Die Eigenart des europäischen Mittelalters und seines Denkens aus der Sicht Japans | Philoophie im Mittelalter | Felix Meiner | 87. |
熊田陽一郎 | 神の視について—キリスト教におけるシムボル形成 | 中央大学人文研紀要8 | 中央大学 | 89. |
増田 三彦 | トマスにおける苦痛と悲しみ | 中世哲学研究6 | 京大中世哲学研究会 | 87.10 |
松田 禎二 | アウグスティヌスの著作について—その分類と要旨 | 人文論集38 | 静岡大学人文学部 | 88.1 |
松田 禎二 | アウグスティヌスの平和論—De civitate Dei, lib. XIXを中心に | 人文論集39 | 静岡大学人文学部 | 90.1 |
松田 禎二 | アウグスティヌスにおける自由意志と悪の問題 | 人文論集40 | 静岡大学人文学部 | 90.1 |
松崎 一平 | アウグスティヌスと古典文学(1)—『告白』第一巻を中心に | 富山大学教養部紀要20-1 | 富山大学教養部 | 87.8 |
三上 茂 | ボナヴェントゥラの教師論—「すべての者の唯一の教師・キリスト」 | アカデミア197 | 南山大学 | 88.1 |
宮本 久雄 | ニュッサのグレゴリウスにおける神の似像 | 上智大学中世思想研究所編「中世の人間像」 | 創文社 | 87.8 |
宮谷 宣史 | アウグスティヌスの聖餐理解 | 神学研究37 | 関西学院大学神学研究会 | 90.3 |
水落 健治 | 初期アウグスティヌスにおけるDialecticaの問題(1)—De Dialectica c. V | 明治学院論叢450 | 明治学院大学一般教養部学会 | 89.10 |
水落 健治 | 初期アウグスティヌスにおけるDialecticaの問題(2)—De Dialectica c. V | 明治学院論叢458 | 明治学院大学一般教養部学会 | 90.3 |
水田 英実 | シンポジウム提題:知性・魂・形相—トマスの場合 | 中世思想研究29 | 中世哲学会 | 87.9 |
水田 英実 | 可能知性単一説に対するトマスの論駁 | 福井大学教育学部紀要1人文科学(哲学)36 | 福井大学教育学部 | 87.11 |
水田 英実 | 認識者としての魂の存在(esse)について—トマス『有と本質』の研究(2) | 福井大学教育学部紀要1人文科学(哲学)37 | 福井大学教育学部 | 88.11 |
水田 英実 | トマスによる”Vivere viventibus est esse” (Ar. De an., 2. 4, 415b, 13)の解釈 | 中世哲学会紀要21 | 中部哲学会 | 89.3 |
水田 英実 | トマスのイデア論—神の概念としてのイデア | シンポジオン34 | 広島大学文学部哲学研究室 | 90.3 |
中川 昌治 | エックハルトの敬虔について—「教導講話」を中心として | 「キリスト者の敬虔」印具徹先生喜寿記念献呈論文集 | ヨルダン社 | 89.3 |
中川 純男 | シンポジウム提題:『三位一体論』におけることば論 | 中世思想研究31 | 中世哲学会 | 89.9 |
中川 純男 | 神の名—ことばと概念 | 季刊哲学7 | 哲学書房 | 89.7 |
中村友太郎 | イェフダ・ハレヴィの宗教的人間観 | 上智大学中世思想研究所編「中世の人間像」 | 創文社 | 87.8 |
中山浩二郎 | トマスにおける能動知性と抽象 | 哲学87 | 三田哲学会 | 88.12 |
中山浩二郎 | 実存と本質について—トマスの哲学的立場(そのI) | 人文論集2 | 創価大学人文学会 | 90.3 |
小浜 善信 | トマスにおける「魂の不死論証」をめぐって—De anima を中心として | 中世哲学研究7 | 京大中世哲学研究会 | 88.10 |
小幡 義信 | 未完の著作《コンペンディウム・テオロギアエ》について | 光星学院八戸短期大学研究紀要11 | 光星学院八戸短期大学 | 88.12 |
小幡 義信 | 聖アウグスティヌス研究のメムワール(1) | 八戸大学紀要9 | 八戸大学 | 90・3 |
小川 量子 | ドゥンス・スコトゥスにおける照明説解釈について | ボナヴェントゥラ紀要5 | 東京ボナヴェントゥラ研究所 | 88.10 |
小川 量子 | ドゥンス・スコトゥスにおける意志の自由と必然性について | 途上17 | 思想とキリスト教研究会 | 88.3 |
小川 量子 | ドゥンス・スコトゥスにおける神の享受(fruitio)について | ボナヴェントゥラ紀要6 | 東京ボナヴェントゥラ研究所 | 89.10 |
大森 正樹 | 東方神学の一特質—グレゴリオス・パラマスの『神認識』の問題をめぐって | 中世思想研究6 | 京大中世哲学研究会 | 87.10 |
大森 正樹 | 所謂「霊的感覚」について… パラマスを遡って | 南山短大紀要15 | 南山短大 | 87.12 |
大森 正樹 | 身体もまた祈る… パラマスの身体観への試み | 南山短大紀要16 | 南山短大 | 88.12 |
大森 正樹 | パラマスにおける光の神学と否定神学 | 南山短大紀要17 | 南山短大 | 89.12 |
大村 晴雄 | 後期スコラ哲学研究(一〇)—ドゥンス・スコートゥスの神学,その対象と方法(5) | 途上18 | 思想とキリスト教研究会 | 89.2 |
大谷 啓治 | 十二世紀シトー会士のアニマ論 | 上智大学中世思想研究所編「中世の人間像」 | 創文社 | 87.8 |
大鳥居信行 | トマス・アクィナスにおける「良知(synderesis)」の問題 | 中世思想研究30 | 中世哲学会 | 88.9 |
岡部由紀子 | アウグスティヌス『アカデメイア派駁論』—「知」と「不知」 | 中世思想研究29 | 中世哲学会 | 87.9 |
岡部由紀子 | アウグスティヌスのアカデメイア派批判—探求論の構図 | 銀杏学園紀要14 | 銀杏学園短大 | 90.3 |
K.リーゼンフーバー | 純粋経験—アリストテレス・西田幾多郎・偽ディオニュシウスとの対話 | カトリック研究51 | 上智大学神学会 | 87.6 |
K.リーゼンフーバー | 人間の尊厳とペルソナの概念—その歴史的関係を考察する | 文化会議219 | 日本文化会議 | 87.9 |
K.リーゼンフーバー | 自己から一者へ | プロティヌス全集第4巻, 付録4 | 中央公論社 | 86.11 |
K.リーゼンフーバー | 神認識における否定と肯定の関係—偽ディオニュシオスの『神秘神学』とクザーヌスの『隠れたる神』において | 会報9 | 日本クザーヌス学会 | 87.6 |
K.リーゼンフーバー | 自由と恩寵—十二世紀における人間観に関する一考察 | 上智大学中世思想研究所編「中世の人間像」 | 創文社 | 87.8 |
K.リーゼンフーバー | 中世の人間像と教育観(シンポジウム) | ソフィア141 | 上智大学 | 87.4 |
K.リーゼンフーバー | 新しい中世像を求めて(シンポジウム) | ソフィア139 | 上智大学 | 86.9 |
K.リーゼンフーバー | アウグスティヌスにおける言葉と思惟 | 上智哲学誌3 | 上智大学大学院哲学研究科・中世哲学研究会 | 89.5 |
K.リーゼンフーバー | アウグスティヌスにおける自然理解 | 上智大学中世思想研究所編「古代の自然観」 | 創文社 | 89.12 |
K.リーゼンフーバー | ボナヴェントゥラの自由論 | ボナヴェントゥラ紀要6 | 東京ボナヴェントゥラ研究所 | 89.10 |
K.リーゼンフーバー | 中世思想の今日的意義 | 上智大学通信175 | 上智大学 | 90.3 |
K.リーゼンフーバー | quoad se/quoad nos | Historishes Wörterbuch der Philosophie Bd. 7 | Schwabe u. Co. Verlag, Basel | 89. |
K.リーゼンフーバー | Zum Wesen von technik in Geschichte und Gegenwart | Zen Buddhism Today n. 5. | Kyoto Seminar for Religious Philosophy | 87.11 |
K.リーゼンフーバー | Die Selbsttranszendenz des Denkens zum Sein. “Proslogion&qupt; c. 2 | Philosophie im Mittelalter | Felix Meiner Verlag, Hamburg | 87. |
坂口 昂吉注 | ボナヴェントゥラの歴史神学におけるキリストの位置 | 中世思想研究29 | 中世哲学会 | 89.9 |
堺 正憲 | 御言葉の受肉について—アウグスティヌス『三位一体論』第1巻から第4巻までについての一考察 | 中世思想研究29 | 中世哲学会 | 87.9 |
堺 正憲 | 御子と聖霊の派遣について—アウグスティヌス『三位一体論』第2巻〜第4巻 | 中世哲学研究7 | 京大中世哲学研究会 | 88.10 |
堺 正憲 | 「生まれなかったこと」と「生まれたこと」—アウグスティヌス『三位一体論』第5巻1章1節から7章8節 | 中世哲学研究8 | 京大哲学研究会 | 89.10 |
坂本 尭 | ニコラウス・クザーヌスの人間像 | 上智大学中世思想研究所編「中世の人間像」 | 創文社 | 87.8 |
坂田 登 | 《actus mentis》としての《intentio》について | 中世哲学研究7 | 京大中世哲学研究会 | 88.10 |
坂田 登 | 《intentio》としての《verbum》と精神の《intentionalis》なはたらきについて | 中世哲学研究6 | 京大中世哲学会 | 87.10 |
佐々木 亘 | トマス・アクィナスにおけるdominusの意味について—人間の位置づけを中心として | 南山神学別冊6 | 南山大学大学院進学研究室 | 87.12 |
佐々木 亘 | はたらきの主としての人間—トマスにおけるdominusの意味についての一考察 | 中世思想研究30 | 中世哲学会 | 88.9 |
佐々木 亘 | 主人と僕—アリストテレスの規定のトマスによる受容と変容 | 宗教研究283 | 日本宗教学会 | 90.3 |
佐藤 吉昭 | アレクサンドリアのクレメンスにおける古代キリスト教自然観 | 上智大学中世思想研究所編・「古代の自然観」 | 創文社 | 89.12 |
佐藤 吉昭 | 高年齢化社会における宗教観と自然観の非連続性—キリスト教の歴史的視点からの一試論 | 人文学報63 | 京都大学人文科学研究所 | 89.3 |
佐藤 吉昭 | 「殉教」日本キリシタンから古代キリスト教へ(6).—補論イエズス会・バロック演劇で上演された「日本殉教者劇」 | 京都産業大学世界問題研究所紀要8 | 京都産業大学世界問題研究所 | 88.3 |
佐藤 吉昭 | 紀要第8巻「補論」の修正と附加 | 京都産業大学世界問題研究所紀要9 | 京都産業大学世界問題研究所 | 89.3 |
関根 豊明 | 聖ボナヴェントゥラにおける『霊的鏡』についての一考察 | ボナヴェントゥラ紀要5 | 東京ボナヴェントゥラ研究所 | 88.10 |
柴田 有 | 初期錬金術の歴史と思想 | 伊藤俊太郎・村上陽一郎編「講座科学史第1巻」 | 培風館 | 89.9 |
渋谷 克美 | オッカムの「個体代示」suppositio personalis についての解釈 | 中世思想研究29 | 中世哲学会 | 87.9 |
渋谷 克美 | オッカムの『大論理学』Summa Logicae, 第二部第三章の解釈 | 愛知教育大学研究報告(人文科学)37 | 愛知教育大学 | 88.2 |
清水 哲郎 | オッカムにおける原初的述定と命題の構造 | 中世哲学研究31 | 中世哲学会 | 89.9 |
清水 哲郎 | オッカム唯名論の世界把握 | 季刊哲学2 | 哲学書房 | 88.4 |
清水 哲郎 | アベラールの意味論からフレーゲを見ると | 理想639 | 理想社 | 88.8 |
清水 哲郎 | 中世論理学は可能世界を語らない | 季刊哲学8 | 哲学書房 | 89.9 |
R.L.シロニス | 神の像である人間—ギリシャ教父と中世神学における人間観をめぐって | カトリック研究42 | 上智大学 | 82.12 |
R.L.シロニス | ニュッサのグレゴリウスの小著『モーセの生涯』—四世紀のキリスト教における否定神学の一例 | カトリック研究44 | 上智大学 | 83.12 |
R.L.シロニス | 神についての知と無知—十二世紀の三人の神秘家・神学者に見る神についての逆説 | カトリック研究46 | 上智大学 | 84.12 |
R.L.シロニス | スコトゥス・エリウゲナの人間論 | 上智大学中世思想研究所編・「中世の人間像」 | 創文社 | 87.8 |
R.L.シロニス | 偽ディオニュシオスとスコトゥス・エリウゲナにおける「善の自己拡散」 | 哲学科紀要14 | 上智大学 | 88.3 |
R.L.シロニス | 中世思想における理性と信仰との関係の特徴をめぐって | カトリック研究56 | 上智大学 | 89.12 |
塩谷 惇子 | エレナイオスにおける人間の創造 | 清泉女子大学人文科学研究所紀要9 | 清泉女子大学 | 87.7 |
塩谷 惇子 | エレナイオスにおける人間の創造(その2) | 清泉女子大学人文科学研究所紀要10 | 清泉女子大学 | 88.7 |
高橋 旦 | 倫理と宗教の関係—アウグスティヌス・ルター・エラスムスの関係 | カトリック研究52 | 上智大学神学会 | 87.12 |
高橋 旦 | トマス・アキナス『三位一体論』覚書 | カトリック研究54 | 上智大学神学会 | 88.12 |
高橋 旦 | アウグスティヌス『三位一体論』覚書 | カトリック研究55 | 上智大学神学会 | 89.6 |
高岡 尚 | ニコラウス・クザーヌスの『光の父の贈物』n.100における「物体的な光」,「色」,「透明体」について—ロバート・グローステストの物体生成論および色の理論における光,色,第一質料,透明体に照らして | 日本クザーヌス学会会報10 | 日本クザーヌス学会 | 88.6 |
田中 千里 | アヴェロエスの『形而上学注解』 | 研究紀要19-2 | 近畿大学教養部 | 87.11 |
田中 千里 | イブン・ルシドの論説とイスラム社会No.1 | 研究紀要20-3 | 近畿大学教養部 | 89.3 |
田中 千里 | イブン・ルシドの論説とイスラム社会No.2 | 研究紀要21-1 | 近畿大学教養部 | 89.7 |
手塚奈々子 | ニュッサのグレゴリウスにおける生の変容 | DEREK8 | 立教大学文学部キリスト教学科研究室 | 88. |
手塚奈々子 | ニュッサのグレゴリウスにおける「永遠の今」 | DEREK9 | 立教大学文学部キリスト教学科研究室 | 89. |
上枝 美典 | 諸原因の原因としての目的因 | 中世哲学研究6 | 京大中世哲学研究会 | 87.10 |
上枝 美典 | トマスにおける類と種差について | 中世哲学研究7 | 京大中世哲学研究会 | 88.10 |
上枝 美典 | トマスにおける「真」と範疇 | 中世思想研究31 | 中世哲学会 | 89.9 |
浦 英雄 | トマス・アクィナスにおける「超越的一般者としての多数性」 | ボナヴェントゥラ紀要6 | 東京ボナヴェントゥラ研究所 | 89.10 |
浦 英雄 | 善の拡散について—トマスとギリシア哲学 | 中世哲学研究8 | 京大中世哲学研究会 | 89.10 |
脇 宏行 | トマス・アクィナスにおける天使の自由決定力について | 中世思想研究29 | 中世哲学会 | 87.9 |
脇 宏行 | トマス・アクィナスにおける人間の自由決定力の自由性の根拠について | 中世哲学研究6 | 京大中世哲学研究会 | 87.10 |
脇 宏行 | トマス・アクィナスにおける恩寵と自由—『神学大全』第II部の義化の準備をめぐって | 中世哲学研究7 | 京大中世哲学研究会 | 88.10 |
脇 宏行 | トマス・アクィナスにおける人間の自由決定力とエッセについて—『真理論』第24問をめぐる自由性とエッセの一考察 | 中世哲学研究8 | 京大中世哲学研究会 | 89.10 |
藁谷 敏晴 | Ens ut Comparatio 述定の附帯性と純存在論的繋辞の問題 | 季刊哲学7 | 哲学書房 | 89.7 |
渡部 菊郎 | トマス・アクィナスにおける人間精神の自己認識の問題 | 上智大学中世思想研究所編「中世の人間像」 | 創文社 | 86.8 |
渡部 菊郎 | トマス・アクィナスにおける「個」の問題 | 「ライフサイクルと人間の意識」昭和62年度上智大学学際的共同研究報告書 | 88.7 | |
矢玉 俊彦 | 反省と真理—トマス・アクィナスの判断論 | 中世思想研究31 | 中世哲学会 | 89.9 |
八木 雄二 | ドゥンス・スコトゥスの人間観 | 上智大学中世思想研究所編「中世の人間像」 | 創文社 | 87.8 |
八木 雄二 | 身体と結びついた知性について—ドゥンス・スコトゥスの知性観 | ボナヴェントゥラ紀要4 | 東京ボナヴェントゥラ研究所 | 87.10 |
八木 雄二 | 個体化の原理から見たスコトゥスの神学 | 季刊哲学2 | 哲学書房 | 88.4 |
八木 雄二 | ドゥンス・スコトゥスにおけるスポジトゥム—範疇と個別者,ペルソナを巡って | ボナヴェントゥラ紀要5 | 東京ボナヴェントゥラ研究所 | 88.10 |
八木 雄二 | ドゥンス・スコトゥスによる証明説批判 | ボナヴェントゥラ紀要6 | 東京ボナヴェントゥラ研究所 | 89.10 |
山田 晶 | 『ソリロクィア』の祈りPraesta mihi ut…-Soliloq.I, c.1, n.2 | 中世哲学研究6 | 京大中世哲学研究会 | 87.10 |
山田 晶 | 『ソリロクィア』の祈りut primum…, deinde…-Soliloq.I, c.1, n.2 | 中世哲学研究6 | 京大中世哲学研究会 | 88.10 |
山田 晶 | 『ソリロクィア』の祈りpostremo ut liberes.-Soliloq.I, c.1, n.2 | 中世哲学研究6 | 京大中世哲学研究会 | 89.10 |
山田 晶 | 古代ローマにおける「ピエタス」思想の発展 | 「キリスト者の敬虔」印具徹先生喜寿記念献呈論文集 | ヨルダン社 | 89.3 |
八巻 和彦 | フリートリッヒ・デッサウアーのクザーヌス像—自然科学と哲学・神学の出会い? | 和歌山大学教育学部紀要/人文科学篇38 | 和歌山大学教育学部 | 89.2 |
八巻 和彦 | Die “Manuductio” von der “Ratio” zur Intuition in “De visione Dei” | Mitteilungen und Forschungsbeiträge der Cusanus-Gesellschaft18 | Cusanusu-Gesellschaft | 89.9 |
八巻 和彦 | クザーヌスの De visione Dei における「神の住まう楽園」について—エックハルトのドイツ語説教2と関連させて | 中世思想研究31 | 中世哲学会 | 89.9 |
山本 耕平 | トマス・アクィナスの「レリギオ」と「ピエタス」の概念をめぐって | 「キリスト者の敬虔」印具徹先生喜寿記念献呈論文集 | ヨルダン社 | 89.3 |
山下 一道 | クザーヌスにおける「non aliquid(非他者)」の概念 | 中世思想研究31 | 中世哲学会 | 89.9 |
山内 志朗 | 〈存在の一義性〉の系譜 | 季刊哲学2 | 哲学書房 | 88.4 |
山内 志朗 | アナロギアと共約不可能性 | 季刊哲学7 | 哲学書房 | 89.7 |
山崎 裕子 | Anselm and the Problem of evil | Anselm Studies, vol. 2 | Kraus International Publications, White Plains, New York | 88. |
山崎 裕子 | 宗教における闇の理解—フレデギススの聖書解釈 | 宗教研究279 | 日本宗教学会 | 89.3 |
山崎 裕子 | フレデギススの「無」の思想:カロリング朝の論理と哲学 | 上智哲学誌3 | 上智大学中世哲学研究会 | 89.5 |
矢内 義顕 | 研究報告 アンセルムスにおける Simplicitas について | 宗教研究62巻279 | 日本宗教学会 | 89.3 |
矢内 義顕 | 研究報告 アンセルムスと聖書—『モノロギオン』33章 | 宗教研究63巻283 | 日本宗教学会 | 90.3 |
吉田 喜久子 | マイスター・エックハルトに於ける形而上学と神秘思想 | 宗教研究63巻266 | 日本宗教学会 | 85.12 |
吉田 喜久子 | 新プラトン主義と中世ドイツ神秘思想に於ける「一」の問題 | 宗教哲学研究5 | 京都宗教哲学会 | 88.3 |
吉田 喜久子 | Das ‘Flieァende Licht der Gottheit’ Mechthilds von Magdeburg—Zum geistesgeschichtlichen Ort volkssprachlicher Offenbarungsliteratur | 東洋大学紀要, 教養課程篇27 | 東洋大学 | 88.3 |
吉田 喜久子 | 神秘思想に於ける罪の問題 | 宗教研究279 | 日本宗教学会 | 89.3 |
吉田 喜久子 | マイスター・エックハルトに於ける神の一性と三一性の問題—キリスト教における神の三一性の問題をめぐって | 法政大学教養部「紀要」70 | 法政大学 | 90.2 |
注:坂口昂吉氏の「昂」は本来,異字体で表記されるべきものです。フォント表示の問題で勝手ながら「昂」を使わせていただきました。
4 書評
書評者 | 書誌 | 雑誌名 | 出版社・大学等 | 発行年 |
---|---|---|---|---|
荒井 洋一 | 上智大学中世思想研究所編「中世の人間像」・創文社,1987年 | 中世思想研究31 | 中世哲学会 | 89.9 |
降旗 芳彦 | James McEvoy: The Philosophy of Robert Grosseteste, Clarendon Press, Oxford, 1982/R.W.Southern:Robert Grosseteste, The Growth of an English Mind in Mediebal Europe, Clarendon Press, Oxford, 1986. | 中世思想研究30 | 中世哲学会 | 88.9 |
稲垣 良典 | Mark D. Jordan: Ordering Wisdom, The Hierarchy of Philosophical Discourses in Aquinas, University of Norte Dame Press, 1986. | 中世思想研究30 | 中世哲学会 | 88.9 |
稲垣 良典 | K.リーゼンフーバー著「中世における自由と超越」創文社,1988年 | 中世思想研究31 | 中世哲学会 | 89.9 |
泉 治典 | リーゼンフーバー「中世における自由と超越」創文社,1988年 | 日本の神学28 | キリスト教学会 | 89.9 |
泉 治典 | Beckmann, u. a. (hrsg.) Philosophie im Mittelalter, Felix Meiner, 1987. | 中世思想研究31 | 中世哲学会 | 89.9 |
加藤 武 | 山田晶著「アウグスティヌス講話」新地書房,1988年 | 文化会議227 | 財団法人日本文化会議 | 88.5 |
清瀬 卓 | 岩倉具忠著「ダンテ研究」創文社,1988年 | 中世思想研究31 | 中世哲学会 | 89.9 |
今 義博 | 熊田陽一郎著「美と光—西洋思想史における光の考察」国文社,1986年 | 中世思想研究30 | 中世哲学会 | 88.9 |
河野 一典 | Jaroslav Pelikan: The Mystery of Continuity — Time and History, Memory and Eternity in the Thought of Saint Augustine, Charlottesville, University Press of Virginia, 1986. | 中世哲学研究8 | 京大中世哲学研究会 | 89.10 |
宮本 久雄 | Alain de Libera et Émilie Zum Brunn (ed.) : Celui qui est, interprétations juives et chrétiennes d’ Exode 3/14, Paris, Les Éditions du Cerf, 1986. | 中世思想研究29 | 中世哲学会 | 87.9 |
宮内 久光 | 山田晶著「トマス・アクィナスの«レス»研究」創文社,1986年 | 中世思想研究29 | 中世哲学会 | 87.9 |
水落 健治 | アウグスティヌス著作集第6巻「キリスト教の教え」加藤武訳,教文館,1988年 | 本のひろば | キリスト教文書センター | 88.10 |
水落 健治 | Johannes Quasten: Patrology, 4 vols. (vol. 1〜3:1950, vol.4:1986) Chiristian Classics, Westminster. | 中世思想研究31 | 中世哲学会 | 89.9 |
水田 英実 | Ralph McInerny: Being and Predication, Thomistic Interpretations, The Catholic University of America Press, 1986. | 中世思想研究31 | 中世哲学会 | 89.9 |
森 泰男 | Drago Pintaric : Sprache und Trinitát, Semantische Probleme in der Trinitátslehre des hl. Augustinus. Salzburger Studien zur Philosophie, Salzburg-Munchen, Verlag Anton Pustet, 1983. | 中世思想研究29 | 中世哲学会 | 87.9 |
中川 純男 | 茂泉昭夫著「アウグスティヌス研究—徳・人間・教育」創文社,1987年 | 中世思想研究30 | 中世哲学会 | 88.9 |
中村友太郎 | 川田熊太郎論集3「西洋中世哲学」公論社,1985年 | 中世思想研究31 | 中世哲学会 | 89.9 |
中山 善樹 | 川崎幸雄著「エックハルトとゾイゼ」関西大学出版部,1986年 | 中世思想研究29 | 中世哲学会 | 87.9 |
大出 哲 | 薗田担著「<無限>の思惟—ニコラウス・クザーヌス研究」創文社,1987年 | 中世思想研究30 | 中世哲学会 | 88.9 |
大森 正樹 | 宮本久雄著「教父と愛智」新世社,1989年 | エイコーン2 | 新世社 | 89.6 |
清水 哲郎 | 金子晴勇著「近代自由思想の源流」創文社,昭和62年 | 創文278 | 創文社 | 87.6 |
薗田 担 | 熊田陽一郎著「美と光—西洋思想史における光の考察」国文社,1986年 | カトリック研究53 | 上智大学神学会 | 88.6 |
浦 英雄 | W.J. Hankey: God in Himself, Aquinas’ Doctrine of God as Expounded in the Summa Theologiae, Oxford, 1987. | 中世哲学研究7 | 京大中世哲学研究会 | 88.10 |
渡部 菊郎 | 真方敬道著「中世個体論研究」キリスト教歴史双書3,南窓社,1988年 | 中世思想研究31 | 中世哲学会 | 89.9 |
八木 雄二 | Camille Bérubé De I’Homme à Dieu selon Duns Scot, Henri de gant et Olivi, Istituto Storico dei Cappuccini, 1988. | 中世思想研究31 | 中世哲学会 | 89.9 |
八巻 和彦 | 薗田担著「<無限>の思惟」創文社,1987年 | 宗教研究62巻278 | 日本宗教学会 | 88.12 |
八巻 和彦 | Nicolai de Cusa Opera Omnia: X 2b Tu quis es <De principio>; XI-1 De beryllo, Felix Meiner, 1988. XVII Sermones II (1443-1452) Fasc. I, Sermones XXVII-XXXIX, Felix Meiner, 1983. | 中世思想研究31 | 中世哲学会 | 89.9 |
山崎 裕子 | 小野忠信著「アンセルムスの神学」新教出版社,1985年 | 日本の神学26 | 日本基督教学会 | 87.9 |