研究大会記録一覧表
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過去の研究大会記録
第73回大会(2024年)
日程:2024年11月9日(土)・11月10日(日) 場所:筑波大学
《研究発表》
西尾 駿杜 (京都大学) |
Significatum propositionis──アベラールの唯一明瞭な遺産について── |
寺島 奈那 (早稲田大学) |
ディオニュシオス・アレオパギテースにおける「二重の神学」 |
笹路 梨咲子 (慶應義塾大学) |
トマス・アクィナスにおける完全性としてのhabitusについて |
宮川 創 (筑波大学) |
古代末期エジプトの宗教的多元性とシェヌーテの異端反駁 |
石川 知輝 (東京大学) |
アウグスティヌスと聖書翻訳:ヒエロニムスとの書簡から |
江口 克彦 (京都外国語大学) |
アルベルトゥス・マグヌスの共通感覚(sensus communis)論 |
石田 隆太 (同志社大学) |
第一質料はどのように存在するとトマス・アクィナスは考えたのか |
関沢 和泉 (東日本国際大学) |
『カトリコン』(1286年)の哲学? |
川﨑 えり (上智大学) |
posse fieri概念の境位 ──『知恵の狩猟』におけるpossest概念との関係から── |
アダム・タカハシ (関西学院大学) |
天球、動物そして摂理:アルベルトゥス・マグヌス『「命題集」註解』におけるアラビア・アリストテレス主義受容 |
《シンポジウム連動報告》
芦名 定道 (関西学院大学) |
プロテスタント神学の動向から |
《シンポジウム》
論題:トマス・アクィナスに疑義を呈す──近代における啓示と理性──
阿久戸 義愛 (立教大学) |
[提題]啓示と弁証法 ──カール・バルトにおける啓示と理性── |
小柳 敦史 (北海学園大学) |
[提題]緊張と妥協 ──トレルチにおける歴史的啓示と理性── |
桑原 直己 (筑波大学) |
[提題]近代プロテスタンティズムの展開とトマス・アクィナス |
小林 剛 | [司会] |
第72回大会(2023年)
日程:2023年11月11日(土)・11月12日(日) 場所:上智大学(+Zoomウェビナーによるオンライン配信)
《研究発表》
小沢 隆之 (慶應義塾大学) |
『三位一体論』における神の似像の歪みの回復と神を認識することについて |
古舘 恵介 (北海道大学) |
ドゥンス・スコトゥスのアリストテレス解釈と存在の一義性 |
芝元 航平 (上智大学) |
ライムンドゥス・ルルスにおける差異の実在性について |
坂田 奈々絵 (清泉女子大学) |
典礼注解書における象徴理論:マンドのグイレルムス・ドゥランドゥスによる『聖務の理論』を中心に |
江口 克彦 (京都外国語大学) |
アルベルトゥス・マグヌスの行為論にみる表象力(phantasia)の役割 |
佐々木 亘 (鹿児島純心女子短期大学) |
ケイパビリティ・アプローチとトマス・アクィナス ──配分的正義における共同善── |
長町 裕司 (上智大学) |
否定性〈の〉脱‐基底(Ab-grund : 深淵/淵源) ──〈非-他なるもの(non-aliud)〉というエニグマ的名称と,negatio negationis‘ の否定神学的系譜における,クザーヌスからエックハルトへの関連点に向けて── |
加藤 武 (立教大学) |
神は言い尽くせない ineffabile ──『キリス教の教え De Doctrina Christiana』I,6.6── |
《シンポジウム連動報告》
藤本 温 (名古屋工業大学) |
無からの創造 ──ニュッサのグレゴリオス、エリウゲナ、アンセルムス── |
《シンポジウム》【上智大学中世思想研究所共主催】
論題:トマス・アクィナスに疑義を呈す──中世における神学と哲学──
小林 剛 (中央大学) |
[提題]無からの創造は哲学的に証明可能か ──トマス・アクィナス、アラビア哲学、アルベルトゥス・マグヌスに即して── |
山崎 達也 (創価大学) |
[提題]フライベルクのディートリヒにおけるトマスの聖体論批判 ──付帯的なものはそもそも実体なしに存在することは可能なのか── |
川添 信介 (福知山公立大学) |
[提題]トマスの立場とトマスへの立場 |
辻内 宣博 (早稲田大学) |
[司会] |
第71回大会(2022年)
日程:2022年11月12日(土)・11月13日(日) 場所:東北学院大学(+Zoomウェビナーによるオンライン配信)
《研究発表》
上遠野 翔 (東京大学) |
サン゠プルサンのドゥランドゥスの神学の三分類をめぐって |
石田 隆太 (同志社大学) |
美の超越性:トマス・アクィナスの美をめぐる思想再考 |
小山田 圭一 (東京工業大学) |
トマス・アクィナスにおける存在分割の原理としての本質について |
関沢 和泉 (東日本国際大学) |
中世哲学研究に対し当時の辞書・事典はどのような寄与をするか |
芝元 航平 (上智大学) |
トマス・アクィナスにおける知性的魂の作用と自存性 ──アヴィセンナ説に対する応答を手がかりとして── |
小川 量子 (立正大学) |
キリストの受難に関するスコトゥスの情念論 |
島田 勝巳 (天理大学) |
Explicatio Petri ──クザーヌスにおける教会論の変容── |
《シンポジウム連動報告》
小林 春夫 (東京学芸大学) |
ポスト・アヴィセンナ期の哲学と神学 |
《シンポジウム》【東北学院大学キリスト教文化研究所共催】
論題:翻訳としての中世哲学──『形而上学』の読者たち──
中畑 正志 (京都大学) |
[提題]エネルゲイアは「現実に存在する」ことだろうか? |
小村 優太 (早稲田大学) |
[提題]アラビア哲学における ἐνέργεια/δύναμιςの訳語としてのfiʽl/quwwaと、その周辺 |
内山 真莉子 (慶應義塾大学) |
[提題]トマス・アクィナス『形而上学注解』とアナロギア |
西村洋平 (兵庫県立大学) |
[司会] |
第70回大会(2021年)
日程:2021年11月13日(土)・11月14日(日) 場所:Zoom Webinar
《研究発表》
小林 剛 (中央大学) |
アヴェロエス『矛盾の矛盾』における天体の動者について |
周藤 多紀 (京都大学) |
トマス・アクィナスにおける徳のモドゥス(modus) |
西村 雄太 (早稲田大学) |
「神の内なる一匹のハエは実在する最高位の天使より高貴である」 ──エックハルトにおける創造理解とそのスコラ学的背景について──── |
高石 憲明 (筑波大学) |
トマス・アクィナスの智慧の秩序における個と全体の関係について |
野邊 晴陽 (東京大学) |
目的はどのように原因でありうるのか ──トマス・アクィナスにおけるintentio を手がかりに── |
山口 隆介 (聖泉大学) |
トマス・アクィナスにおける神の無限性 |
川崎 えり (上智大学) |
なぜ〈可能現実存在〉は〈可能そのもの〉に劣るのか? ──クザーヌスDe apice theoriaeを巡る一考察 |
《特別講演》
加藤 武 | 声とことば ──Augustinus, Dolbeau, Sermon 293A, Mainz における── |
《シンポジウム連動報告》
近藤 智彦 (北海道大学) |
ボエティウスとアベラールにおけるヘレニズム倫理学 |
《シンポジウム》 論題:翻訳としての中世哲学
西村 洋平 (兵庫県立大学) |
[提題]哲学入門と翻訳 ──ボエティウスの『エイサゴーゲー』と『カテゴリー論』訳註をめぐって |
永嶋 哲也 (福岡歯科大学) |
[提題]『デ・アニマ』前の認識理論 ──アベラールTractatus de intellectibusを軸に |
古舘 恵介 (北海道大学) |
[提題]『命題論』註解と動詞論の変遷 ──プラトンからオッカムまで |
小村 優太 (早稲田大学) |
[司会] |
第69回大会(2020年)
日程:2020年11月7日(土)・11月8日(日) 場所:Zoom Webinar(慶應義塾大学)
《研究発表》
芝元 航平 (上智大学) |
トマス・アクィナスにおける実体概念と存在の分有構造 ──アヴィセンナの影響という観点からの考察── |
石田 隆太 (慶應義塾大学) |
霊的質料とは何だったのか:ボナヴェントゥラの質料形相論 |
秋山 学 (筑波大学) |
大バシレイオスによる詩編唱和の内的意義 ──詩編第118(119)編を中心に── |
島田 勝巳 (天理大学) |
クザーヌスにおける「宇宙的受肉」と否定神学 ──『知ある無知』から『光の父の贈りもの』へ── |
八巻 和彦 (桐朋学園大学) |
クザーヌスの〈イディオータ〉思想の現代的意義 |
有賀 雄大 (東京大学) |
アンセルムスにおける真理と存在 |
《シンポジウム連動報告》
桑原 直己 (筑波大学) |
中世における「枢要徳」概念の展開 ──トマス・アクィナスを中心に── |
《シンポジウム》 論題:枢要徳の形成と発展──スコラ学における枢要徳の発展──
松根 伸治 (南山大学) |
[提題]12世紀の枢要徳論 |
松村 良祐 (藤女子大学) |
[提題]ボナヴェントゥラと枢要徳 |
小川 量子 (立正大学) |
[提題]スコトゥスにおける枢要徳の再構成と友愛の完全性 |
山田 庄太郎 (聖心女子大学) |
[司会] |
第68回大会(2019年)
日程:2019年11月9日(土)・11月10日(日) 場所:南山大学R棟
《研究発表》
神田 愛子 (同志社大学) |
人としての完成に達するための要件と順序 ──『迷える者の手引き』III:52–54── |
徳田 安津樹 (東京大学) |
クザーヌスにおける二重のディオニュシウス文書 |
川﨑 えり (上智大学) |
ヴェンクとクザーヌスにおける知的態度の差異 ──De ignota litteratura と Apologia doctae ignoranitae 解釈として── |
本間 裕之 (東京大学) |
『スコトゥスの論理学』における形相的区別 |
石田 隆太 (日本学術振興会) |
ペトルス・ヨハニス・オリヴィと個体化の問題 |
アダム・タカハシ (東洋大学) |
トマス・アクィナス『「天界論」注解』における天体の本性の問題 |
小沢 隆之 (慶應義塾大学) |
memoria sui あるいは memoria praesens |
宮島 舜 (東京大学) |
中世アラビア自然哲学の一断面: アヴィセンナ物体論へのスフラワルディーによる批判について |
《シンポジウム連動報告》
土橋 茂樹 (中央大学) |
「枢要徳」概念の源泉と変容 |
《シンポジウム》 論題:枢要徳の形成と発展──教父時代における枢要徳の受容と形成──
秋山 学 (筑波大学) |
[提題]アレクサンドリアのクレメンスにおける「徳」 |
山田 庄太郎 (聖心女子大学) |
[提題]アンブロシウスにおける枢要徳 ──キケロの影響とアンブロシウスの独自性── |
菊地 伸二 (名古屋柳城短期大学) |
[提題]アウグスティヌスにおける枢要徳の問題 |
松村 良祐 (藤女子大学) |
[司会] |
第67回大会(2018年)
日程:2018年11月10日(土)・11月11日(日) 場所:聖心女子大学4号館
《研究発表》
アダム・タカハシ (東洋大学) |
アヴェロエス「知性単一説」とその批判:再考 |
芝元 航平 (上智大学) |
トマス・アクィナスの「第三の道」における必然性の問題 |
志田 雅宏 (日本学術振興会) |
中世ユダヤ教におけるキリスト教論駁と福音書翻訳 ──ヤコブ・ベン・ルーベン『主の戦い』── |
松澤 裕樹 (大谷大学) |
クヴェードリンブルクのヨルダンのラテン語説教におけるエックハルトの影響 |
袴田 玲 (岡山大学) |
トマス・アクィナス説教 18「地は芽生えさせよ (Germinet Terra)」 におけるマリア論とその可能性 |
野邊 晴陽 (東京大学) |
トマス・アクィナスにおける「善」の基礎づけについて |
須藤 英幸 (同志社大学) |
人間は uti の対象か frui の対象か ──アウグスティヌスにおける隣人愛の思想── |
波多野 瞭 (ストラスブール大学) |
秘跡の霊印と権能に対する認識を巡る 13 世紀中葉の議論 ──ボナヴェントゥラと初期トマスを中心に── |
千葉 惠 (北海道大学) |
アンセルムスの神の存在論的論証──啓示神学と自然神学を媒介する「理解」── |
小川 量子 (立正大学) |
ドゥンス・スコトゥスにおける自由と正義 |
若松 功一郎 (早稲田大学) |
エックハルトにおける存在 (esse) と知性認識 (intelligere) との関係 ──非トマス主義的知性論の伝統を踏まえて── |
関沢 和泉 (東日本国際大学) |
文法学は子供の如く、論理学は大人の如く、そして音楽は。 ──ロジャー・ベーコンにおける人間の自然本性と言語、音楽── |
《シンポジウム連動 特別報告》
矢内 義顕 (早稲田大学) |
中世における原罪論の展開──アンセルムスからトマス・アクィナスへ── |
《シンポジウム》 論題:中世における原罪論の諸相──ラテン中世における展開──
山口 雅広 (龍谷大学) |
[提題]トマス・アクィナスの原罪論──彼のキリスト教的人間観の一面── |
辻内 宣博 (早稲田大学) |
[提題]神の自由意志の絶対性──オッカムのウィリアムにおける原罪論から── |
佐藤 直子 (上智大学) |
[提題]ヒルデガルトの視る「原罪」──Sciviasを中心に── |
鶴岡 賀雄 (南山大学) |
[司会] |
第66回大会(2017年)
日程:2017年11月11日(土)・11月12日(日) 場所:岡山大学 津島キャンパス
《研究発表》
内山 真莉子 (慶應義塾大学) |
トマス・アクィナスにおけるアナロギアと比喩 |
菅原 領二 (慶應義塾大学) |
トマス・アクィナスにおける永劫の問題 |
西村 雄太 (早稲田大学) |
エックハルトにおける存在と本質の区別について |
西村 洋平 (龍谷大学) |
『純粋善について(原因論)』の自己存立をめぐる議論 ――新プラトン主義の知性論の行方―― |
神田 愛子 (同志社大学) |
神の知識と可能の本性について ――『迷える者の手引き』Ⅲ:19-21 より |
島田 勝巳 (天理大学) |
クザーヌスにおける「否定神学」の意義 ――『知ある無知』を中心に―― |
本間 裕之 (東京大学) |
ドゥンス・スコトゥスの形相的区別について |
古舘 恵介 (北海道大学) |
動詞 est は単なるコプラか ──ドゥンス・スコトゥス『命題論問題集第二』1巻5問とその前史 |
《シンポジウム連動 特別報告》
宮本 久雄 (東京純心大学) |
木の実の誘惑――創世記と告白―― |
《シンポジウム》 論題:中世における原罪論の諸相――教父の聖書解釈を中心に――
出村 みや子 (東北学院大学) |
[提題]アウグスティヌスの原罪論におけるオリゲネスの聖書解釈の影響 |
佐藤 真基子 (富山大学) |
[提題]アウグスティヌスにおける楽園神話解釈に基づく人間観の形成 ――「嘘」の概念に注目して |
山田 望 (南山大学) |
[提題]ペラギウス派による原罪論批判の本質と課題 ――悪は「善の欠如」であるか?―― |
矢内 義顕 (早稲田大学) |
[司会] |
第65回大会(2016年)
日程:2016年11月12日(土)・11月13日(日) 場所:早稲田大学 早稲田キャンパス
《研究発表》
⽯⽥ 隆太 (筑波⼤学/⽇本学術振興会) |
トマス・アクィナスと天使の個体化 ──個体化の原理の射程をめぐって── |
⼩⽥ 英 (早稲田大学) |
スアレスの政治思想における純粋な⾃然(pura natura)という概念の意義 |
岡嵜 隆哲 (同志社大学) |
アウグスティヌスにおける内的対話の展開 ──『告⽩録』における『詩編』引⽤の意味と可能性について── |
アダム・タカハシ (白百合女子大学) |
天球の霊魂と神的摂理: アルベルトゥス・マグヌスとアリストテレス主義における≪註解≫の伝統 |
星野 倫 (京都大学) |
ダンテと三段論法 |
野邊 晴陽 (東京大学) |
トマス・アクィナスの超範疇概念論(QDV 1.1に基づいて) |
村上 寛 (早稲田大学) |
滅却された魂」における意志について ──「再帰的意志」の観点から |
《シンポジウム連動 特別報告》
⼋巻 和彦 (早稲田大学) |
⻄⽅神秘思想における東⽅との連続性と独⾃性 |
《シンポジウム》 論題:東方神化思想と西方神秘思想―西方キリスト教における神秘思想―
⽥島 照久 (早稲田大学) |
[提題]神化の伝統とエックハルトにおける神認識の問題 ──神の〔⼦の〕誕⽣をめぐって── |
阿部 善彦 (立教大学) |
[提題]クザーヌスの神化思想 ──Visio Dei における創造から神化へのダイナミズム── |
鶴岡 賀雄 (東京大学) |
[提題]⻄⽅神秘思想史における⼗字架のヨハネの位置と意義 |
井上 淳 (南山大学) |
[司会] |
第64回大会(2015年)
日程:2015年10月31日(土)・11月1日(日) 場所:名古屋工業大学 御器所キャンパス
《研究発表》
西村 雄太 (早稲田大学) |
フライベルクのディートリヒにおける知性の特異性と概念把握的存在者論 |
外村 江里奈 (早稲田大学) |
クザーヌスの縮限概念とコスモロジーの再検討 ――ミクロコスモスとしての人間の主体性をめぐって―― |
小村 優太 (東京大学) |
イブン・シーナーにおける根源的言表可能対象としての「もの」の存在性格 |
筒井 明子 (山口大学) |
「一性」への接近――ボエティウス『デ・ヘブドマディブス』に見る 三つの超越概念の関係について―― |
松根 伸治 (南山大学) |
ガンのヘンリクスと propositio magistralis ――13世紀末の意志論の一局面―― |
上枝 美典 (慶應義塾大学) |
トマスにおける神の知の不変性と時間の認識 |
内山 真莉子 (慶應義塾大学) |
トマス・アクィナスにおけるアナロギア論の整合的理解の可能性について |
菅原 領二 (慶應義塾大学) |
トマス・アクィナスにおける可能世界の問題 |
加藤 和哉 (聖心女子大学) |
『神学大全』は誰のために書かれたのか |
《シンポジウム連動 特別報告》
久松 英二 (龍谷大学) |
ギリシア教父における神化思想 |
《シンポジウム》 論題:東方神化思想と西方神秘思想―東方キリスト教の伝統における神化思想―
袴田 渉 (東京大学) |
[提題]「名づけ」と神化 ――ディオニュシオス『神名論』をめぐって |
谷 隆一郎 (九州大学名誉教授) |
[提題]証聖者マクシモスにおける神化の道行き ――「善く意志すること」の可能根拠を問う―― |
大森 正樹 (南山大学名誉教授) |
[提題]「神化」をめぐる問題 ――ヘシカズム論争の一断面―― |
河野 一典 (鹿児島純心女子短期大学) |
[司会] |
第63回大会(2014年)
日程:2014年11月8日(土)・9日(日) 場所:中央大学 多摩キャンパス
《研究発表》
石田 隆太 (筑波大学) |
トマス・アクィナスにおける人間の「個体化」について―「個体化の源」とは何か― |
伊藤 遥子 (筑波大学) |
トマス・アクィナスにおける「愛」の二層性 |
河野 雄一 (慶應義塾大学) |
エラスムス『リングア』における言語と統治 ―両義性と規律― |
芝元 航平 (上智大学) |
神の「存在論的証明」に対するトマス・アクィナスの批判について ―アンセルムスの証明と「第四の道」との関係という観点から― |
高石 憲明 (筑波大学) |
トマス・アクィナスにおける二つの神的学に対する神の位置づけ |
伊野 連 (早稲田大学) |
中世キリスト教音楽理論の哲学的考察 ―形而上学と思弁性― |
東 慎一郎 (東海大学) |
中世ルネサンスにおける数学論をめぐって ―学問論的伝統とその現代的意義― |
小山田 圭一 (東京工業大学) |
トマス・アクィナスのにおける神の全能と世界の可能性について |
町田 一 (関東学園大学) |
ライプニッツにおける復活 |
小川 量子 (立正大学) |
スコトゥスの主意主義的倫理学と徳の結合 |
《シンポジウム連動 特別報告》
関沢 和泉 (東日本国際大学) |
[関連補論]中世の音楽像について |
大貫 義久 (法政大学) |
ルネサンスにおける学問論―ペトラルカからガリレオへ― |
《シンポジウム》 論題:中世の自由学芸―― 盛期スコラから近世へ ――
関沢 和泉 (東日本国際大学) |
[提題]Accessus系テクストは十三世紀の大学の「三つのポリシー」を伝えているか? |
片山 寛 (西南学院大学) |
[提題]トマス・アクィナスの自由学芸論 |
松村 良祐 (藤女子大学) |
[提題]ボナヴェントゥラと自由学芸 |
周藤 多紀 (京都大学) |
[司会] |
第62回大会(2013年)
日程:2013年11月9日(土)・10日(日) 場所:京都大学 吉田キャンパス
《研究発表》
平野 和歌子 (京都大学) |
創造の諸段階と神の摂理 ―― アウグスティヌス『創世記逐語注解』にもとづいて ―― |
須藤 英幸 (京都大学) |
アウグスティヌス『キリスト教の教え』における記号理論の三項構造 |
小村 優太 (東京大学) |
イスラーム哲学史の文脈において哲学用語「wahm」が指すものの変遷 |
神田 愛子 (同志社大学) |
マイモニデスにおける存在する事物の目的について ――『迷える者の手引き』III:13より |
古舘 恵介 (北海道大学) |
分離実体と ens ―― トマス・アクィナスにおける形而上学の対象 |
川合 恵生 (東京女子大学) |
ペドロ・ゴメスの『デ・アニマ注解』における、理性的魂の不滅性について |
袴田 渉 (東京大学) |
偽ディオニュシオスにおける神化と類似 |
袴田 玲 (上智大学) |
グレゴリオス・パラマスの人間観 ――知性 nous と魂 psychē と心 kardia の関係性について―― |
千葉 惠 (北海道大学) |
アンセルムス Cur Deus Homo における贖罪論は司法的か ――「神の義」の一解釈との対比 ―― |
鈴木 敦詞 | ドゥンス・スコットゥスにおける potentia-actus の関係 ―― 超越する関係 relatio trancendens として ―― |
横田 蔵人 (京都大学) |
オッカムの倫理思想における思慮と徳 |
井上 一紀 (東京大学) |
超越範疇の布置 ――フランシスコ・スアレス『形而上学討論集』における |
《シンポジウム連動 特別報告》
水落 健治 (明治学院大学) |
Varro の libri disciplinarum と中世の自由学芸 |
《シンポジウム》 論題:中世の自由学芸―― ギリシアから前期スコラの時代へ ――
納富 信留 (慶應義塾大学) |
[提題]古代ギリシア・ローマにおける「哲学」と「弁論術」の教育 |
矢内 義顕 (早稲田大学) |
[提題]カンタベリーのアンセルムスと自由学芸 |
永嶋 哲也 (福岡歯科大学) |
[提題]エロイーズ書翰に見る中世修辞学としての書翰作文術 |
土橋 茂樹 (中央大学) |
[司会] |
第61回大会(2012年)
日程:2011年11月10日(土)・11日(日) 場所:文教大学 湘南キャンパス
《研究発表》
小野 隆一 (筑波大学) |
ポルピュリオス『ニュンペーの洞窟』における魂の門について |
大野 岳史 (東洋大学) |
スピノザ『形而上学的思想』における「区別」の理論 |
阿部 善彦 (早稲田大学) |
エックハルトの初期思想形成における擬ディオニシウス・アレオパギテース―『教導講話』から「ドイツ語説教101-104」(魂における紙の誕生に関する連続説教)を中心に― |
高橋 淳友 | トマス・アクィナスによる stramentum 解釈について |
田内 千里 (上智大学短期大学部) |
Tendimus per scientiam ad sapientiam ―アウグスティヌスにおける知識と知恵― |
山口 隆介 (聖泉大学) |
トマス・アクィナスの「祈り」概念 |
坂田 奈々絵 (上智大学) |
サン=ドニ大修道院長シュジェールにおける「アナゴーゲーの流儀」―モノにおいて瞑想することについて |
小林 剛 (明治学院大学) |
アルベルトゥス・マグヌスの可能知性論―『霊魂論』に即して― |
《シンポジウム》 論題:中世におけるプラトニズム―トマス・アクィナスおよびイスラーム―
松本 耿郎 (聖トマス大学) |
[提題]中世のプラトニズム~イスラーム思想と新プラトン主義 |
上枝 美典 (慶応義塾大学) |
[提題]トマスの神はエッセのイデアか |
荻原 理 (東北大学) |
[提題]トマスとイデア論をめぐって(仮題) |
川添 信介 (京都大学) |
[司会] |
第60回大会(2011年)
日程:2011年11月5日(土)・6日(日) 場所:西南学院大学
《研究発表》
保井 亮人 (同志社大学) |
トマス・アクィナス『ヨブ記註解』における神の摂理(providentia)について |
山田 庄太郎 (筑波大学) |
アウグスティヌスの時間論の諸特徴について─『告白』全13巻に於ける第11巻の位置づけ─ |
佐藤 真基子 (慶応大学) |
言葉と救い─アウグスティヌスにおけるキリスト理解の形成についての考察─ |
村上 寛 (早稲田大学) |
マルグリット・ポレートと修道院神学─意志概念を手がかりとして─ |
芝元 航平 (上智大学) |
トマス・アクィナスにおける「無からの創造」が持つ哲学的意味─神の働きの直接性という観点からの発展史的考察─ |
古舘 恵介 (北海道大学) |
トマス・アクィナス『形而上学註解』におけるオルドとポテンチア |
西村 洋平 (京都大学) |
プロクロス『悪の存立論』とキリスト教思想圏への浸透 |
杉村 太郎 (上智大学) |
アウグスティヌス『三位一体論』全体の構造分析とその読み方 |
長町 裕司 (上智大学) |
トマス・アクィナスの神思想は、存在〔者〕- 神‐論(Onto-theo-logia)か?─ J. L. マリオン(Jean-Luc Marion, 1946-)のトマス解釈からの更なる再考─ |
《学術講演会》 主催:西南学院大学学術研究所 共催:中世哲学会
稲垣 良典 (長崎純心大学) |
トマス・アクィナスの存在論 |
《シンポジウム連動 特別報告》
山内 志朗 (慶応大学) |
中世存在論におけるプラトニズムと超越概念 |
《シンポジウム》 論題:中世におけるプラトニズム─教父時代から12世紀まで─
松崎 一平 (富山大学) |
[提題]アウグスティヌスとプラトニズム |
周藤 多紀 (山口大学) |
[提題]ボエティウスのプラトニズム─アリストテレス註解の視点から─ |
中村 秀樹 (上智大学) |
[提題]12世紀のプラトニズム─キリスト教神学の自己確認とプラトニズムの意義─ |
水落 健治 (明治学院大学) |
[司会] |
第59回大会(2010年)
日程:2010年11月6日(土)・7日(日) 場所:東京大学 本郷キャンパス
《研究発表》
寺川 泰弘 (筑波大学) |
ヨアンネス・クリマクス『楽園の梯子(= Scala Paradisi)』における「欲望から超然としていること、とは何か?─Gradus 2 を中心に」 |
斎藤 大樹 (同志社大学) |
アンセルムスにおける真理概念─命題の真理をめぐる一考察─ |
寺本 稔 (東京都立大学) |
ひとつの喜びのために全てが使用されうるのか─『83の諸問題について』からみる理性のはたらきと享受の関係─ |
神田 愛子 (同志社大学) |
マイモニデスにおける神と人─『迷える者の道案内』III: 51より─ |
泉 雄生 (上智大学) |
トマス・アクィナスの「聖なる教え」における信仰の先行的役割について─キリスト教哲学あるいは理性のキリスト教的行使の可能性─ |
山口 雅広 (京都大学) |
「上位の理性」と「下位の理性」─トマス・アクィナスの場合─ |
須藤 英幸 (京都大学) |
アウグスティヌス De doctrina christiana における記号論 |
北川 恵 (上智大学) |
一般的教養を越えた「音楽」について─アウグスティヌス『秩序論』から『音楽論』へ─ |
松沢 裕樹 (早稲田大学) |
マイスター・エックハルトにおける「固有」概念について |
辻内 宣博 (京都大学) |
社会共同体の中での友愛の在処─ビュリダンの『ニコマコス倫理学問題集』第8巻─ |
《シンポジウム連動 特別報告》
小川 量子 (立正大学) |
中世後期主意主義におけるストアとの連関─正義と自由に関するヘンリクスとスコトゥスのストア的理解─ |
山内 志朗 (慶応大学) |
[特定質問] |
《シンポジウム》 論題:中世哲学とストア派倫理学─スコラ学における受容と変容─
松根 伸治 (南山大学) |
[序説] |
加藤 和哉 (聖心女子大学) |
[提題1]トマス・アクィナスにおける「ストア派」(Stoici)の使用法 |
藤本 温 (名古屋工業大学) |
[提題2]自然法について─アクィナスとストア派─ |
桑原 直己 (筑波大学) |
[提題3]カトルトーマタとしての connexio virtutum per prudentiam ─トマス・アクィナスにおける徳の結合理論の二重性─ |
山本 芳久 (東京大学) |
[特定質問]トマス・アクィナスとストア派倫理学 |
樋笠 勝士 (上智大学) |
[司会(コーディネーター)] |
第58回大会(2009年)
日程:2009年11月14日(土)・15日(日) 場所:富山大学 五福キャンパス
《研究発表》
保井 亮人 (同志社大学) |
トマス・アクィナス『ヨハネ福音書講解』における神の世界内在について |
小村 優太 (東京大学) |
イブン・シーナーの預言者論 |
横田 蔵人 (神戸女学院大学) |
精神の「三位一体」性をめぐって─ ペトルス・アウレオリのアウグスティヌス解釈─ |
小林 剛 (明治学院大学) |
自然学の基礎としての表象力、評定力 ─アルベルトゥス・マグヌスのアヴィセンナとの比較─ |
佐藤 真基子 (慶応大学) |
アウグスティヌスにおける自己欺瞞の理解 |
中村 秀樹 (上智大学) |
サン・ヴィクトールのリカルドゥスの思想における愛 |
大野 岳史 (東洋大学) |
スピノザにおける存在論と中世哲学─スピノザとトマス・アクィナスにおける存在者の根源についての一考察─ |
山田 庄太郎 (筑波大学) |
アウグスティヌス『告白』の時間論における時間の連続性について─セクストス・エンペイリコスの議論との比較から─ |
片上 茂樹 (京都大学) |
「SはPである」という命題の体系的分類─Thomas Aquinas, In Periherm., I, l.10, n.125-126.─ |
K. アルスボーグ (神戸ルーテル神学校) |
人間の自由についてのクザーヌスの理解 |
《シンポジウム連動 特別報告》
樋笠 勝士 (上智大学) |
「神の摂理」をめぐる問題:ストア派と教父との間の連続と不連続─アウグスティヌスを中心として─ |
出村 和彦 (岡山大学) |
[特定質問] |
《シンポジウム》 論題:中世哲学とストア派倫理学─東西教父からスコラ前夜まで─
中川 純男 (慶応大学) |
[序説]中世哲学とストア派倫理学(序説) |
土橋 茂樹 (中央大学) |
[提題1]アパテイアの多義性と「慰めの手紙」─東方教父におけるストア派の両義的影響─ |
荻野 弘之 (上智大学) |
[提題2]ラテン教父におけるストア倫理学の問題 |
山崎 裕子 (文教大学) |
[提題3]スコラ哲学前夜におけるストア派倫理学─アンセルムスの rectitudo をめぐって─ |
水落 健治 (明治学院大学) |
[特定質問]ユスティノスのストア哲学批判 |
神崎 繁 (専修大学) |
[特定質問]古代末期および中世における「ストア派」影響ルート・マップ |
樋笠 勝士 (上智大学) |
[司会(コーディネーター)] |
第57回大会(2008年)
日程:2008年11月15日(土)・16日(日) 場所:明治学院大学 横浜校舎
《研究発表》
菊地 智 (早稲田大学) |
リュースブルクにおける「神と人間との一致」のテーマとキリスト論 |
小沢 明也 (前橋工科大学) |
トマス・アクィナスにおける他者に基づく自己完成としての愛の成立 |
芝元 航平 (上智大学) |
トマス・アクィナスにおける存在と本質の「実在的」区別について |
土橋 茂樹 (中央大学) |
バシレイオスのヒュポスタシス‐ウーシア論 |
千葉 惠 (北海道大学) |
ペラギウス論争とその調停者パウロ |
川原田 知也 (中央大学) |
13世紀における説教の構造と意図 ─ 枝の主日説教を例に ─ |
神門 しのぶ (上智大学) |
アウグスティヌスにおける〈教え〉の諸相 ―『教師論』から『教えの手ほどき』へ― |
高橋 淳友 (広島大学) |
「魂の乗り物」理論とトマス・アクィナス |
長町 裕司 (上智大学) |
マイスター・エックハルトの根本テーゼ ,,Esse est Deus “ ─ その、聖書的かつ形而上学的基礎の開明へ向けての準備考察 ─ |
《シンポジウム連動 特別報告》
秋山 学 (筑波大学) |
ビザンティン世界における「知」の共同体的構造 ─ 「不断の宇宙論」としての典礼を基点に ─ |
矢内 義顕 (早稲田大学) |
11-12世紀における二つの学校 ─ ベックとラン ─ |
《シンポジウム》 論題:制度と学知
高橋 英海 (東京大学) |
アレクサンドリアからバグダードへ ─ 学知の経由地とイスラーム世界での学知の受容におけるその影響 ─ |
山本 芳久 (千葉大学) |
盛期スコラ学における制度と学知 ─ トマス『神学大全』の制度論的背景についての一考察 ─ |
(司会) | 鶴岡 賀雄(東京大学) |
第56回大会(2007年)
日程:2007年11月10日(土)・11日(日) 場所:広島大学 東広島キャンパス
《研究発表》
桑原 光一郎 (上智大学) |
トマス・アクィナスにおける金銭使用論 |
高木 保年 (早稲田大学) |
エックハルトにおける神名の問題 ―「実体(substantia)」と「関係(relatio)」をめぐって― |
松村 良祐 (南山大学) |
トマス・アクィナスにおけるcooperatio ―第一原因と第二原因の文脈におけるこの語の使用を手掛かりとして |
横田 蔵人 (京都大学) |
「対象である」というしかたで「ある」ものについて ―オッカムのアウレオリ批判を中心に― |
小村 優太 (東京大学) |
イブン・シーナー『治癒の書』「霊魂論」における人間知性の上昇と、それにおける能動知性の意義 |
町田 一 (関東学園大学) |
ライプニッツにおける奇蹟と自由 |
片上 茂樹 (京都大学) |
絶対的に考察された本性とは何か ―トマス・アクィナスにおける普遍論― |
柳澤 田実 (南山大学) |
アウグスティヌスにおける言語と私秘性 |
《公開講演》
稲垣 良典 (九州大学名誉教授) |
『神学大全』(スンマ)の挑戦 |
《特別報告A》
岩熊 幸男 (福井県立大学) |
Vocales再論 |
(特定質問) | 矢内 義顕(早稲田大学)、関沢 和泉(パリ第七大学) |
(司会) | 水落 健治(明治学院大学) |
《特別報告B》
今 義弘 (山梨大学) |
エリウゲナの自筆写本をめぐって |
(特定質問) | 八巻和彦(早稲田大学)、小浜善信(神戸市外国語大学) |
(司会) | 中川 純男(慶応大学) |
第55回大会(2006年)
日程:2006年11月11日(土)・12日(日) 場所:慶應義塾大学 日吉キャンパス
《研究発表》
高橋 淳友 (広島大学) |
エックハルトとマイモニデス ―『創世記』のイデア論的解釈を中心として― |
鈴木 順 (東京大学) |
「魂のアパテイア(アパテイアー・テース・プシューケース)」から「不動の知性(ヌース・アキネートス)」へ:エヴァグリオス・ポンティコスのパトス論の一側面 |
阿部 善彦 (上智大学) |
エックハルトにおける「魂の内なる一つの力」について―ドイツ語説教2における「一つの力」の体系的理解のために― |
周藤 多紀 (京都大学) |
SUMBOLON, SEMEION, NOTA ボエティウスによる『命題論』冒頭(16a3-8)のラテン訳 |
田子山 和歌子 (慶応義塾大学) |
神の実在と被造物の実在 ―ライプニッツにおける最完全性による実在規定― |
山口 隆介 (聖泉大学短期大学部) |
トマス・アクィナスのfortitudo概念 |
藁谷 敏晴 (東京工業大学) |
オッカム論理学の再構成に就いて―中世論理学の一般的研究の序として― |
菊地 英里香 (筑波大学) |
J・ボダン『妖術師の悪魔的狂気』における悪魔学の系譜 |
小林 剛 (明治学院大学) |
アルベルトゥス・マグヌスにおける表象力について |
上村 直樹 (首都大学東京) |
アウグスティヌス『未完の創世記逐語註解』における聖書解釈の方法 |
渋谷 克美 (愛知教育大学) |
スコトゥスの「形相の究極的存在性」について |
《特別講演》
宮本 久雄 (東京大学) |
ハヤトロギアと中世哲学 |
《シンポジウム》 論題:中世から近世へ―知のあり方の変容?―
坂部 恵 (東京大学名誉教授) |
バロックから見返す哲学史 |
伊藤 博明 (埼玉大学) |
知識人からユマニストへ -15世紀イタリアの知的世界- |
加藤 和哉 (聖心女子大学) |
「スコラ学」における学/哲学としての神学の誕生 |
(司会) | 川添 信介(京都大学) |
第54回大会(2005年)
日程:2004年10月29日(土)・30日(日) 場所:ノートルダム清心女子大学
《研究発表》
三谷 鳩子 (東北大学) |
トマスの恩寵論におけるハビトゥス概念の一考察 |
松根 伸治 (京都大学) |
倦怠と悲しみ -トマス・アクィナスのacediaについて |
堺 正憲 (九州工業大学) |
神の三位一体と御言の受肉 -アウグスティヌス『三位一体論』についての一考察 |
長町 裕司 (上智大学) |
》Quasi stella matutina in medio nebulae…《 (「霧の只中の明けの明星のように・・・」 ) -マイスター・エックハルトの言語理解における、〈一性形而上学への精神形而上学の統合〉という事態究明へ向けて- |
花井 一典 (北海道大学) |
聖トマスにおけるobiectumの概念 |
寺本 稔 (東京都立大学) |
アウグスティヌス『告白』11巻における時間探究 |
辻内 宣博 (京都大学) |
感覚認識と知性認識の境界線 |
折井 善果 (東京大学) |
ルイス・デ・グラナダにおけるスコラ学と修徳思想 |
酒井 紀幸 (早稲田大学) |
クザーヌスにおける「他」と時間 |
《書評会》
- 桑原 直己著 『トマス・アクィナスにおける「愛」と「正義」』
- 佐々木 亘著 『トマス・アクィナスの人間論:個としての人間の超越性』
桑原 直己 (筑波大学) |
著者コメント |
佐々木 亘 (鹿児島純心女子短期大学) |
著者コメント |
片山 寛 (西南大学) |
特定質問 |
山本 芳久 (千葉大学) |
特定質問 |
《特別講演》
岩田 靖夫 (仙台白百合女子大学教授) |
理性と法 -アリストテレスの『政治学』における教育の意味- |
《シンポジウム》 論題:中世から近世へ -法・政治をめぐる思想の変遷-
ホセ・ヨンパルト (上智大学) |
ビトリアの正当戦争の理論 |
藤田 潤一郎 (関東学院大学) |
近世以降の思惟様式における存在者―プロテスタンティズムを手がかりに |
柴田 寿子 (東京大学) |
西欧近世にみる開放的共存の思考様式 -スピノザにおける政治と倫理 |
(司会) | 水田 英実(広島大学) |
第53回大会(2004年)
日程:2004年10月30日(土)・31日(日) 場所:筑波大学
《研究発表》
芝元 航平 (上智大学) |
トマス・アクィナスにおけるアナロギア理解の発展について |
小笠原 史樹 (東北大学) |
トマス・アクィナスの全能論 |
米山 基 (早稲田大学) |
トマス・アクィナスの「良知」理解に見られるアリストテレスの影響について |
山口 雅広 (京都大学) |
トマス・アクィナスにおける選択の自由 -その晩期における議論の意味- |
藤本 温 (名古屋工業大学) |
トマス・アクィナスと決疑論的思考について |
松田 美佳 (花園大学) |
エックハルトの隣人愛論 |
千葉 恵 (北海道大学) |
トマスとルターにおける信仰とその果実 -徳と恩寵の両立可能性- |
佐藤 真基子 (慶應義塾大学) |
アウグスティヌスにおける聖書解釈と愛の概念 |
三村 太郎 (東京大学) |
中世イスラーム世界における論証の在る風景 -イブン・ムナッジム,クスター・イブン・ルーカー,フナイン・イブン・イスハーク間往復書簡を中心に- |
田子山 和歌子 (慶應義塾大学) |
ライプニッツの個体実体概念 |
荻野 弘之 (上智大学) |
正戦論の起源としてのアウグスティヌス? |
《特別講演》
水垣 渉 (京都大学名誉教授) |
キリスト論の思想的射程 -古代キリスト教を中心にして- |
《シンポジウム》 論題:中世から近世へ -存在論の変容-
川添 信介 (京都大学) |
認識・自然本性・神 |
鈴木 泉 (神戸大学) |
スピノザと中世スコラ哲学―一つのモデルケースとして― |
村上 勝三 (東洋大学) |
ア・プリオリな神証明と存在の重さ |
(司会) | 清水 哲郎(東北大学) |
第52回大会(2003年)
日程:2003年10月25日(土)・26日(日) 場所:新潟大学
《研究発表》
浅井 太郎 (南山大学) |
アウグスティヌス『アレイオス派の説教論駁』の分析 -子の従順は本性の相違を示すか- |
樋笠 勝士 (神田外語大学) |
アウグスティヌスにおける「記号論」の展開 |
岩熊 幸男 (福井県立大学) |
ロスケリヌスの範疇論注釈 |
出村 みや子 (フェリス女学院大学) |
オリゲネスの聖書解釈と反ユダヤ主義の問題 |
柴田 有 (明治学院大学) |
ロゴスとデュナミス -教父ユスティノスの受肉論- |
長町 裕司 (上智大学) |
アルベルトゥス学派の知性論の今日的意義 -トマス・アクィナスからフライブルクのディートリッヒへの、思惟にとっての前理論的地盤の推移- |
上枝 美典 (福岡大学) |
トマス・アクィナスにおける認識的正当化と真理 |
加藤 雅人 (関西大学) |
トマス・アクィナスにおける存在論と意味論 -esse (ens) dupliciter dicitur- |
《書評会》
- 渡邉 守道著 『ニコラウス・クザーヌス』
渡邉 守道 (ロングアイランド大) |
著者コメント |
クラウス・リーゼンフーバー (上智大学) |
特定質問 |
(司会) | 八巻 和彦(早稲田大学) |
《特別講演》
Charles Burnett (ロンドン大学) |
Recent Developments in the Study of Arabic Philosophy and Its Impact on the West: with special reference to the activity in the Court of Frederick II Hohenstaufen (d.1250) |
《シンポジウム》 論題:存在と知性--イスラームから西洋へ
小林 春夫 (東京学芸大学) |
イスラーム哲学の転換点:イブン・スィーナーの「空中人間」をめぐって |
水田 英実 (広島大学) |
トマス・アクィナスによる異文化理解 -信仰の真理と理性の真理の一致- |
(司会) | 山内 志朗(新潟大学) |
第51回大会(2002年)
日程:2002年11月9日(土)・10日(日) 場所:東京学芸大学
《研究発表》
山口 隆介 | トマス・アクィナスの信仰概念 |
松根 伸治 | 実践知の重層性 —トマス・アクィナスのprudentia論 — |
長倉 久子 | エッセと日本語 |
土井 健司 | 神の無限性と人間の主体性 —エペクタシス再考 — |
堀江 聡 | 『アリストテレス神学』から古代末期の始原論への遡源 |
片柳 榮一 | アウグスティヌスの時間論の再検討 |
江口 克彦 | アルベルトゥス・マグヌスにおける哲学的観照の意義 |
永嶋 哲也 | 実在論者のstatusと唯名論者のstatus |
小川 量子 | 意志の対象への関係性 —ヘンリクスとスコトゥスの主意主義の相違について— |
《著者たちを囲むワークショップ》
- 中川 純男著 『存在と知 アウグスティヌス研究』
- 岡部 由紀子著 『アウグスティヌスの懐疑論批判』
中川 純男 | 著者コメント |
岡部 由紀子 | 著者コメント |
加藤 信朗 | 司会 |
《特別講演》
加藤 信朗 | アウグスティヌスにおける二つの国の理念 |
《シンポジウム》 論題:古代末期からカロリング・ルネッサンスへ —知の断絶か連続か—
野町 啓 | 古代末期からカロリング・ルネッサンスへ |
清水 哲郎 | 局地的断絶/長期的低落傾向からの回復 |
(司会) | 花井 一典 |
第50回大会(2001年)
日程:2001年11月10日(土)・11日(日) 場所:北海道大学
《研究発表》
川崎 千里 | アウグスティヌスの神認識における視覚表現 |
小倉 瞳子 | 様相命題の de re 解釈を巡る一試論 |
高橋 淳友 | エックハルトとトマス・アクィナスにおける「すべてのものを照らす光り」 |
中西 恭子 | ユリアヌス帝の宗教思想における「ヘレニズム」とキリスト教 |
鶴岡 賀雄 | 十字架のヨハネにおけるスコラ学と神秘主義 |
脇 宏行 | アンセルムスのrectitudoについて |
川本 浩子 | ヨハネス・スコトゥス・エリウゲナの創造論における「算術の例」の役割 |
上枝 美典 | 分析トミズムのエッセ批判 |
山本 巍 | an deus sit |
《書評会》
- 大森 正樹著 『エネルゲイアと光の神学 –グレゴリオス・パラマス研究』
- 秋山 学著 『教父と古典解釈 –予型論の射程 –』
大森 正樹 | 著者コメント |
秋山 学 | 著者コメント |
谷 隆一郎 | 司会 |
《特別講演》
大貫 隆 | 「全体的「今」の系譜 –イエス、アウグスティヌス、W.ベンヤミンの歴史理解に寄せ –」 |
《シンポジウム》 論題:中世哲学と現代 — <神>なき神 –
K・リーゼンフーバー | 神認識における信仰と理性 –カンタベリーのアンセルムスにおいて |
宮本 久雄 | 神名論からハーヤーへ |
薗田 坦 | <神>なき神の探究 |
(司会) | 水田 英実 |
第49回大会(2000年)
日程:2000年11月11日(土)・12日(日) 場所:神田外語大学
《研究発表》
柳澤 田実 | ニュッサのグレゴリウス『雅歌講話』における欲望と時間 |
小林 剛 | トマス・アクィナスの自然学における必然性の根拠について —「第一の道」に則して — |
岩田 圭一 | クザーヌスにおける世界把握としての「生成可能」— 『知恵の狩猟について』における用法を手がかりに — |
河野 一典 | アウグスティヌスにおける霊的被造物の存在と認識の問題 — 『創世記』注解を中心に — |
沼田 敦 | イブン・シーナーの「魂に第一に刻印される存在者」について |
八木 雄二 | 予知の必然と事態の偶然について— ドゥンス・スコトゥスの意志説の一断面 — |
中山 みどり | エックハルト『ヨハネ福音書注解』における「存在」 |
《書評会》
- 渡部 菊郎著 『トマス・アクィナスにおける真理論』
- 水田 英実著 『トマス・アクィナスの知性論』
- 加藤 雅人著 『ガンのヘンリクスの哲学』
渡部 菊郎 | 著者コメント |
水田 英実 | 著者コメント |
加藤 雅人 | 著者コメント |
山内 志朗 | 司会 |
《特別講演》
越 宏一 | 中世美術序説 |
《シンポジウム》 論題:中世哲学と現代 — 真理と生 –
川添 信介 | 特権的真理と懐疑主義の間 |
神崎 繁 | 「意志」概念の形成・変容と現代 |
八巻 和彦 | <愛智としての哲学>と<自己言及性> |
(司会) | 中川 純男 |
第48回大会(1999年)
日程:1999年11月13日(土)・14日(日) 場所:英知大学
《研究発表》
関沢 和泉 | 学としてのGRAMMATICA — ダキアのボエティウスによる様態論のプログラム — |
上村 直樹 | アウグスティーヌス『自由意志論』における意志探究の志向性 |
須沢 かおり | エディット・シュタインの神秘思想 — 十字架のヨハネ解釈をめぐって |
江口 克彦 | アルベルトゥス・マグヌスにおける神認識の媒介(medium)の意義 |
加藤 和哉 | スコラにおける学問と観想 — トマス・アクィナスの知識論についての一考察 — |
佐々木 亘 | 人間的行為と自然法 — トマス・アクィナスにおける自由の完成について — |
三谷 鳩子 | トマスにおける Imago Dei 概念の発展 –記憶論を中心に — |
中軽米 明子 | 『サン=ベルナール書簡集』から見たサン・ベルナールにおける《vita contemplativa》と《vita activa》 |
今 義博 | エリウゲナにおける theophaia の思想 |
《書評会》
- 中山 善樹著 『エックハルト研究序説』
中山 善樹 | 著者コメント |
谷 隆一郎 | 司会 |
- 片柳 栄一著 『初期アウグスティヌス哲学の形成』
片柳 栄一 | 著者コメント |
中川 純男 | 司会 |
《公開講演》
今道 友信 | 命題と超越 — 中世哲学の誘起するもの |
《シンポジウム》 論題:中世哲学と現代 — 国家と正義 –
岩田 靖夫 | 現代の政治哲学における主要な論点と問題点 |
稲垣 良典 | 中世政治思想から何を学ぶか |
清水 哲郎 | 理性的独立的人間像から共に生きる人間像へ |
(司会) | 加藤 信朗 |
第47回大会(1998年)
日程:1998年11月14日(土)・15日(日) 場所:国際基督教大学
《研究発表》
周藤 多紀 | トマス・アクィナスにおける思考力(vis cogitativa) –表象像形成におけるその役割– |
高橋 雅人 | トマス・アクィナスの情念論 |
山本 芳久 | トマス哲学における神の把握不可能性(incomprehensibilitas)について |
山崎 達也 | エックハルト神学におけるincarnatioの意義 |
甚野 尚志 | ソールズベリのジョンと異教的俗信への批判 |
久山 道彦 | オリゲネスにおけるエステル記の理解 –古代キリスト教における反ユダヤ主義をめぐって– |
杉崎 泰一郎 | 奇跡物語にみる中世人の世界観 –ペトルス・ウェラビリスの『奇跡について』De Miraculis より– |
矢内 義顕 | Studium sacrae scripturae –アンセルムスと聖書– |
《既刊出版物をめぐる研究部会》
- 坂口 ふみ著 『<個>の誕生 キリスト教教理をつくった人びと』
坂口 ふみ | 著者コメント |
岩田 靖夫 | 司会 |
《公開講演》
村上 陽一郎 | ルネッサンス再考 |
《シンポジウム》 論題:中世における聖書解釈 –その原理をめぐって
水田 英実 | トマス哲学と聖書 |
中山 善樹 | エックハルト問題 |
(司会) | 中川 純男 |
第46回大会(1997年)
日程:1997年11月15日(土)・16日(日) 場所:広島大学
《研究発表》
古牧 徳生 | エカルドゥスにおける被造物の潜勢的存在 |
又野 聡子 | アウグスティヌス『自由決定について』における神の讃美をめぐって |
町田 一 | 時制と実在 –Abelard on Categoricals– |
山内 志朗 | アヴィケンナの存在論との関連から見た、スコトゥスの個体化論 |
渋谷 克美 | 代示suppositio理論に関する偽カムプザルのリカルドゥスとオッカムの論争 |
水落 健治 | 「命題の部分」と「言葉の部分」 –Ammonios Hermeiou, Commentaria in Arist. De Interpretatione 16a1– |
井澤 清 | トマス・アクィナスにおけるアナロギア論とカエタヌス |
柊 暁生 | 七十人訳聖書についての若干の考察 |
《既刊出版物をめぐる研究部会》
- 稲垣 良典著 『抽象と直観』
稲垣 良典 | 著者コメント |
水田 英実 | 基調質問 |
大鹿 一正 | 司会 |
- 谷 隆一郎著 『アウグスティヌスの哲学』
谷 隆一郎 | 著者コメント |
荻野 弘之 | 基調質問 |
中川 純男 | 司会 |
《特別報告》
加藤 信朗 加藤 雅人 |
第10回国際中世哲学会に参加して |
《公開講演》
André Goddu | Music, Philosophy, and Natural Science in the Middle Age |
《シンポジウム》 論題:中世における聖書解釈 –ギリシア教父
篠崎 榮 | 聖書解釈における正当性の問題 |
水垣 渉 | ギリシア教父における聖書解釈の前提、意義および方法 |
(司会) | 宮本 久雄 |
第45回大会(1996年)
日程:1996年11月9日(土)・10日(日) 場所:早稲田大学
《研究発表》
島田 佳代子 | トマス・アクィナスにおける感覚と知性の関係 –能動知性措定の意味 — |
岡安 喜代 | 三位一体への問いとしての始源への問い — エックハルト『ヨハネ福音書注解』における — |
石井 雅之 | ボエティウスの認識論とアリストテレス解釈 |
出村 和彦 | ポワティエのヒラリウス『三位一体論』とアリウス論争 |
松根 伸治 | トマス・アクィナスのincontinentia(無抑制)の議論について |
別宮 幸徳 | 徳の意味 –トマス・アクィナスのハビトゥス理論における倫理的徳の形成と意志的行為 — |
渡部 菊郎 | トマスにおける実践的理性の真理 (コメント:加藤和哉、司会:宮内久光) |
《特別報告》
Carlos Steel (Univ. of Leuvain) |
Lost Simplicity — Johannes Eriugena on sexual difference — |
《公開講演》
小山 宙丸 | 自然について –比較宗教哲学の視点から– |
《シンポジウム》 論題:中世における聖書解釈 –『創世記』をめぐって
荻野 弘之 | 被造性の意味をめぐって –4世紀東西教父の『創世記』解釈点描 |
森 泰男 | アウグスティヌスにおける<読>(legere)と<解>(intellegere) |
Wolfgang Kluxen (Univ. of Bonn) |
「創造の概念」と「創造の記述」 –13世紀における『創世記』第1章の役割 |
(司会) | 泉 治典・稲垣 良典 |