第49号和文要旨 2007年(平成19年)9月25日発行
「第49号目次」
論文
上村 直樹,聖書解釈の方法の成立 ──アウグスティヌス初期の「創世記」註解をめぐって
本論文は、アウグスティヌス「創世記」註解群のなかで、解釈法においてもその成果においても未熟と評されてきた『未完の創世記逐語註解』の意義を解明する。まず、この註解書が未完である所以を考察するとともに、「創世記」1:26と1:27に関する同時期の解釈を検証することによって、この註解書が「創世記」1:27をad litteramに解釈できなかったのみならず、創造の物語を包括的に捉えることができなかったゆえに中断したことを明らかにする。そして、この註解書がすでに『創世記逐語註解』に先行してad litteramという解釈法を実践したにもかかわらず、聖書を「歴史」としても「預言」としても解釈する可能性にとらわれることによって、聖書テキストを一義的に規定できなかったことをしめす。この註解書が「未完の」と形容されるのはそうした理解の限界によってであり、一方解釈法においては先駆的な実践であると見なされる。
周藤 多紀,’ΣΥΜΒΟΛΟΝ’, ‘ΣΗΜΕΙΟΝ’, ‘NOTA’ ──ボエティウスによる『命題論』(16a3-8)のラテン訳
アリストテレスの『命題論』冒頭にあるsymbolonとsemeion という二つのギリシャ語の語彙に、ボエティウスはnotaという同一のラテン語の語彙を当てている。本論は、こうしたボエティウスの訳はどのような意図をもってなされたか、また「誤訳」と見なされるべきものかという問題を文献学的に考察している。『命題論』ではsymbolonはsemeionの一種であると言える。symbolonとsemeionに対応するように見えるsymbolumとsignumは、『命題論』の文脈にそぐわないテクニカルな意味をそれらの有力な用法として持っていたために採られなかったと考えられる。symbolonをnotaと訳すのはキケロの『トピカ』に先例があり、しかもnotaはsymbolonの二つの重要な含意である「規約性」と「平行性」を満たす語彙である。したがって、ボエティウスの訳は、アリストテレスのテクストの意味をかなり正確に伝えたものと言える。
高橋 淳友,エックハルトの〈イデア─インテリゲンチア〉連関 ──『創世記』のイデア論的解釈を中心として
『離脱について』では、離脱との関係上重要と思われる〈イデア〉と〈インテリゲンチア〉との関係は、示唆されてはいるが詳細には述べられていない。本論の目的は、エックハルトの考える〈イデア〉と〈インテリゲンチア〉との関係を、『創世記註解』を用いて明らかにすることにある。吟味の対象となるのは、マイモニデスの『迷えるものの手引』及び、無名氏の『原因論』における、天使的〈インテリゲンチア〉に対するエックハルトの言及である。吟味の結果明らかと なったのは、エックハルトは、〈イデア〉との関わりのなかで〈インテリゲンチア〉に触れる場合、典拠として『迷えるものの手引』及び『原因論』を用いた場合でも、〈神の知性の活動〉としてインテリゲンチアを解釈する、つまり、〈イデア〉と〈インテリゲンチア〉との連関を、言わば〈イデアの場〉たる神におけるものとして捉えようとしているということである。
研究論文
鈴木 順,「魂のアパテイア (apatheia tes psyches)」から「不動の知性 (nous akinetos)」へ ──エヴァグリオス・ポンティコスのパトス論の一側面
小林 剛,アルベルトゥス・マグヌスにおける表象力について
本稿では、西欧中世を代表する自然哲学者であるアルベルトゥス・マグヌスにおいて、真偽判断を下す感覚能力であり、自然学の要をなすと考えられている表象力、評定力に焦点を当てる。アルベルトゥスによればこの表象力、評定力は、地上のあらゆる物体形相を生み出す天体の動者である純粋知性によって動かされつつ諸々の物体の自然本性の意味内容を認識する。ただしこの意味内容は普遍概念ではなく、「今、ここ」に限定された個別的特殊的内容なのであるが、しかし同時に個々の物体に実際に実在的に受容されている普遍的共通的自然本性に基づくものなのである。このように、普遍概念には到らず個別的特殊的内容に留まらざるを得ない我々の感覚認識が、アルベルトゥスにおいては、古代中世に独特な天体還元主義とも呼ぶべき思想によってその真理性が基礎付けられているのである。
三谷 鳩子,トマスの恩寵論におけるハビトゥス概念の一考察
トマスの恩寵論においてハビトゥスはどのような位置づけを与えられているのであろうか。トマス自身『真理論』において、恩寵は直接働きに関わらないためハビトゥスと呼ぶのはふさわしくない、と述べている。
しかし『神学大全』において、トマスはアリストテレスのヘクシスを十分検討し、第一にハビトゥスを事物の本性そのものへの秩序関連を含むものと捉え、その帰結として、本性の終極目的である限りでの作用の働きに関わるものと解しているのである。 恩寵が人間の堕罪からの修復、成義を通して神によみされた者たらしめることを考慮に入れれば、これらが直接働きに関わるものであるというよりは、本性および存在に関わるものであることが看取される。
それゆえ、トマスは最終的には恩寵をハビトゥスとして認めなかったのではなく、ハビトゥスの本性的、存在的意味を恩寵に適用したと考えられるのである。
阿部 善彦,エックハルトのドイツ語説教2における『城』 ──弁明資料を通じて示される理解可能性の解明
本論文は、マイスター・エックハルトの「ドイツ語説教」(第二説教)における「城」の意味をめぐるものである。その説教は次の聖句に関わるものである。 「イエスはある城(castellum: Burg)にお入りになった.そしてマルタという名の女が,イエスを彼女の家に迎え入れた。」(ルカ10.38) 神秘神学思想の伝統によれば、「城」は、魂の内的な構造を表象するものであり、この説教でエックハルトは、「城」のうちに魂の本質における神との一性を見 る。そこで、魂の本質は、神の超ペルソナ的な純粋な存在とともに、言語的に把握不可能な無名性にあり、「城」はそのような魂の本質における一性の在処として理解される。 説教のこの箇所は、エックハルトが人生の最後に巻き込まれた異端問題のなかで、異端の嫌疑ありとみなされた箇所の一つである。エックハルトは嫌疑箇所に対 して弁明しており、一連のやり取りはラテン語文書でなされている。本論文は、このラテン語の弁明資料に示された「城」の説教における彼の意図や「城」の教えの正当な理解可能性を手がかりにし、その思想的基盤を彼の「ラテン語説教」と関連付けながら解明しようとするものである。
菊地 英里香,ジャン・ボダンにおける家と国家 ──『国家論』から『悪魔的狂気』へ
『国家論』で名高いジャン・ボダンの著書『悪魔的狂気』は、長い間その「狂信」と「迷妄」のゆえにさほど評価されなかったが、現在ではこの2作品の間に思考的矛盾がないことが明らかにされている。本稿もこの見解をふまえ、家と国家というキーワードを設定し、両作品の関連性をより深いレベルで考察した。ボダンは国家の基本構成単位を家に求め、その家が強力な家父長権によって統治されるべきだと主張する。ひとつの宗教による国家の統一が不可能となっている状況下で、ボダンは家族的な結合に国家の統一の基盤を求めた。そのようなボダンにとって、妖術師は第一に近親相姦という性的モラルの逸脱行為により家の秩序を乱す者であり、第二に宮廷妖術師をはじめとした「エリート妖術師」たちは、言うまでもなく、非常に危険な存在だった。さらにまた、女性の妖術師についても、ボダンはヴァイアーの寛容論を否定し、彼を激しく批判した。
シンポジウム
「中世から近世へ ──知のあり方の変容?」
坂部 恵,(提題)バロックから見返す哲学史
ヴォリンガーは、『ゴシックの形式問題』(1911)において、disputatioの形式を基本としたスコラ哲学の文体が、一義的な結論を目指すというよりも、数々の見解をへめぐるその運動過程自体に無限へと向う形式意志を秘めている、という。とすれば、われわれは、今日スタンダードと見なされている19世紀流の哲学の文体とスコラの文体との間に不用意に共訳可能性を想定することにたいしてもうすこし慎重であってもよいのではないか。たとえば、アフォリズムやトピカの文体を意識的に称揚したF・ベーコンやヴィーコのバロックを中世的霊性の最後の輝きと見る一種の文体史的視点を取ってみれば、19世紀流の進歩史観の呪縛から哲学史を解き放って、中世哲学を新たな視座から位置づける数々の可能性が見えてくるのではないだろうか。
伊藤 博明,(提題)知識人からユマニストへ ──15世紀イタリアの知的世界
中世史家ジャック・ル・ゴフは『中世の知識人』(1957)において、13世紀以降、都市の大学を中心に活躍した知識人と、宮廷・アカデミー・私的な書斎において学問的探究をおこなったユマニストを対比させている。だが、ルネサンス(とりわけ印刷術の発展期)以降は、学問と教育を含む「知的世界」が大きく変容したと考えるべきだろう。ルネサンスにおいて哲学史的に最も重要な出来事は、プラトンの著作の流布とその哲学の復興であった。フィレンツェの書記官長ブルーニが、プラトンの著作を次々をラテン語に訳出する一方で、アルギュロプロスはフィレンツェ大学でアリストテレス哲学を講じつつも、プラトン哲学にも言及していた。プラトンの十全な復活はマルシリオ・フィチーノによる全著作の翻訳に拠るところが大きい。彼はプラトン・アカデミーの中心人物であったが、フィレンツェ大学やサンタ・マリア・アンジェリ聖堂においても講義をおこなった。彼の影響は狭い哲学的サークルを超えて、たとえば、実際的な教会人としての生涯を送ったアントニオ・デリ・アリにも及んだのである。
加藤 和哉,(提題)「スコラ学」における学/哲学としての神学の誕生
13世紀初頭、スコラの神学は、理論的にはアリストテレスの学問論(『分析論後書』)の移入、実質面においては大学制度の成立を契機として、学としての性格を問い直された。信から出発する神学は、本来厳密的な意味での「論証学」ではなく、これとは方法的に区別される意味での「弁証術」とされるべきであり、実際、スコラの「問題」や「討論」の方式は、「信から理解へ」という教父以来の思索のうちに保たれていた哲学的ディアレクティケーの性格を受け継ぐものであった(「哲学としての神学」)。ところが、このことは中世における論理学・弁証術理解の曖昧さのために十分に反省されず、結果として神学は他の諸学 と「原理」によって区別される「一つの学」として並び立たされることになり(「学としての神学」)、またその器であった「問題」や「討論」も形式化(「スコラ化」)してゆくことになったのである。